つれづれ

私が日々思うことのつぶやき

また病院へ

異変は、夜中に起こった。

明け方1階からおばちゃんが、上がってきた。

父が昨夜寝れなくて、隣の部屋で寝ている母が一睡もできていないとのことだった。

てるの授乳を切り上げて、1階に見に行った。

ベッドに座った父が歩けないのにベッドを持ってたとうとしている。

危ないからと必死に母がとめていた。

そしたら次にパジャマのボタンをとろうとしていた。

風邪ひくし、そのまま着ていていいのだよと言っても、また同じようなことを繰り返す。

様子が変だ。




私は、母に相談して、昨日のお医者さんに電話しようと言った。

母は疲れからか、何も考えられないようで、私の好きなようにしたらよいと言っていた。

私は、父の様子を紙に箇条書きにして、すぐお医者さんに電話した。

離れた場所におられたけど、来てくれた。


父を診察した後、お医者さんは父の寝ていると何の部屋で私達を呼び、ふすまをしめた。

先生は「思ったより症状の悪化が早いです」と言った。

パジャマのボタンをとったりするのは、アンモニアが脳にまわっているからということだった。

そうすると、本人の意識とは関係のないところで、同じような動作を繰り返してしまうらしい。

先生は、病院に戻るか、このまま家で最期を看るか早めに決めた方がよいというようなことを言った。

もし、病院に戻るなた休日なので、救急車を呼んで下さいと言われた。


一昨日帰ってきたのに、また病院に戻るの?と思ったけど、正直女性陣だけでは、介護するのは難しいと私は痛感していた。

ただ、母は最期を家で看取るということを父と約束したようで、なんとか家で看たいと思っていたようだ。

病院で何度も父は、家に帰っていいの?と母に尋ねたらしい。

母はもちろん、あなたの家ですからと応えただろう。


私は、父はちゃんと家に帰ってこれたし、病院の方が父も安心するよということを伝えて、母もそうねと言ってくれた。


私が、点滴袋を新しいものに変えた後、救急車を呼んだ。

点滴袋を変えたのは、初めてで、これが失敗したら父の様態に関係するのだと思うと、とても緊張した。

もともと病気を持っている人が救急車を呼んでもいいのかと思ったけど、

救急隊員は、到着後、脈などを素早く的確にはかり、父に名前や年齢を尋ね、とても迅速で丁寧な対応で

高槻病院まで運んでくれた。

父が家に帰ってきて3日目のことだった。