私が日々思うことのつぶやき
2月に入った。
ちょうど一年前の2月、母から電話があった。
あれは、下旬頃だったろうか。
「あっ、りょうこ?今電話大丈夫?」
母から突然電話があるのは、珍しかった。
「どうしたの?」
ときくと、今週か、来週かどこかで高槻に来れない?」
ときいてきた。
これまた、こっちに来てほしいなんて言われたのは初めてだったおんで、驚いた。
「実は、こないだ病院で検査したら、肝臓に癌を表す数値がボンとあがっていて、
家族の方にも一緒に病院に来てくださいと言われたのよ」
顔から血の気がひくのがわかった。
先月病院に一緒に行った時、肝臓に影が見えていたのが気になって、もしかして癌が転移しているかもと言われて、
父の時を思ってショックを受けていたけど、
次の検査で数値が減っていたと母からきいて安心していたところだった。
「なんで、また増えたの?」
ときくと、どうやら新しく変えた薬の副作用がしんどくて、2週間ほど薬を飲むのを止めていたらしい。
そんな、なんで薬飲まなかったのと思っても、本人がよっぽどしんどかったのだろう。
とりあえず、心配なものの、病院に一緒に行く日程を決めて電話を切った。
今思うと、母はあの時務めて明るい声を出していたのだと思う。
心配させない為にいつもよりわざと明るい声を出していた。
「りょうこ?」と電話口にきいた母の声は、今でも思い出す。
昨日は、節分でした。
我が家は、旦那さんお仕事、子供二人と家にいたのですが・・・
3人で晩食べてからがひどかった。
2歳児てるさん。
まず、ズボンを脱ぎ始めた。
暖房を切った寒い部屋ですよ~
次にオムツも脱ぎ始めた。
はい?
それから、晩御飯終わったのにカボチャなどを食べ始めて、
そこでジャーっと・・・
そろそろおしっこしたらまずいなぁと思って「トイレ行ったら?」
と言った矢先だった。
急いで、雑巾で拭く。
そしたら、よくわからないけど、トイレに行き始めた。
「まだ出るの?」と尋ねたら、「うん、まだ出る」
にこにこ笑顔で座るものの出ません・・・
そりゃそうですよ~、さっきいっぱい出たじゃん!
それからが問題だった。
トイレのドアを閉じ込めて、何してんのかなと思って、がくに見に行ってと頼むと、
「てるがなんか水いれてるー!」
嫌な予感がして、ダッシュで見に行くと、トイレの手洗いの水にクイックワイパーの空箱に水をいっぱい入れてる。
あれをこぼされたらやばい!と思ったけど、間に合わなかった。
ためらいもなく、ばさーとひっくり返す。
トイレはびちゃびちゃになった・・・
さっき、おしっこ拭いたばっかりなのに~
今度は、しっかり怒って手をぱちりと叩いておいた。
そしたら、水が自分の服にもかかたようで、上の服を脱ぎたいとなった。
あと、ちょっとで食器洗いが終わるから待って、と
お風呂場でまたせる。
がくも服脱ぐとなって、二人でお風呂場で待たせていると、
「ジャーっ」という音が聞こえてくる。
がくがお湯を汲んで、かけたらしい。
寒いから、私が来るまでかけないでっていったのに・・・
しょうがないから、洗い物をストップし、急いで服を脱いで入ると、
てるは、お風呂場の靴はいたまま、シャンプーを何回も出して、髪の毛洗ってる。
「何回だしてるの~!もったいない!」
お気に入りの高いシャンプーなんですよ・・・
しかも、シャンプーは目に入ってしみて泣いている。
「がく、流してあげて」と流して、なんとか解決。
そこから寝るまでもいろいろあったけど、なんとか今日も保育所にいきましたとさ。
全国的に有名な節分祭として、京都の吉田神社の節分祭がある。
3日が本番なのだけど、2日から屋台がずらーっと並び、福豆の販売もしている。
2日の前日には、怖い鬼が出てくるときいて、息子らに見せたいなと思っていた。
今年は、土曜日だったので行ってきましたよ~!
鬼が出る時間は、13時、15時、18時くらいに竹中稲荷神社を出発らしいという情報をゲット。
ちなみに3日は改心した福鬼が出るのだけど、15時、17時くらいに出発するみたい。
この福鬼さんに頭をポンポンとしてもらったら、福が来ると言われていて、去年行ったのだけど、
息子を抱っこしなかったからか、気づいてもらえず、スルーされて、息子は非常に
残念がってました。
息子は、当日の午前中まで鬼怖いし、行かないと断固拒否だったけど、
午後になって、鬼に会いたいとなって行く気モード。
チャリを京大に置いて、屋台を通りすぎて、本堂通って、屋台が続く右の坂を通って
竹中稲荷神社の前で待つ。
しかし、ついた時間が中途半端だった。
13時くらいに行きたかったけど、昼食べて準備してたら間に合わずで・・・
来ないねlぇ、やっぱり下に行ってみる?と他の人からきいた鬼情報を頼りに下に行こうとしていた
矢先、
神社からほらごえが聞こえてきた。
これはもしや?と思って、待っていると、鬼きたー!
「がく、鬼きたでー!」
あれ?がくがいない。と思ったら、5mくらい先に移動していた。
いつのまに・・・
「鬼さんみたいっていってたやん!」、っていったら、「もういいっ!、下に行く」
強がっていたけど、やっぱり怖かったんやな。
でも私が見たいから、「待って、中は人だよ~!」と懸命にとめる。
近づいてきたら、がくは、「公園行くの!」と行ってダッシュで駆けていきました。
てるはというと、せっかく鬼さんが握手してくれそうだったけど、後ずさりして、ぶるっとなってました。
やっぱり怖いよね。
って、ことで、がくの希望通り、公園でおやつ食べて、遊んで帰りました。
子供が一番かわいいと思う時は、
寝ている時という声をよくきく。
この意見に全く同感だ。
4歳息子は、旦那と一緒の布団に入って、横で寝ている。
3歳くらいまでは、ごろんごろんしていたのが嘘のようで、一応布団をかぶるように
なってきた。
時々、旦那の方に行ったり、私の方に来たりするが、1~2歳の時とは大違い。
2歳のてるはどうかというと、寝る時は私と一緒。
私が布団にいかないといつまでも起きている。
ので、私も9時過ぎには布団に行って、一緒に寝ることにしている。
寝る時も私の横にぴったりくっついて、パジャマの中に手を突っ込んでくる。
手が冷たくてしょうがないので、なんとか阻止しようと手をつないでみたり、一生懸命攻防するけど、
やっぱり負けててるの好きなようにしている・・・
最初は、目を開けて布団の方をじっと見ている。
この時が一瞬何考えているんだろう?と思える無表情になって怖いのだけど、
そのうち、口をもぐもぐしながら寝る。
この寝顔がかわいいのだ!
口をもぐもぐするのは、やっぱりおっぱいが恋しいのだなぁと思う。
がくは、もぐもぐすることなかったから、やっぱり人によって全然違うみたい。
右となりを見ると、がくが寝ている。
彼は、お兄ちゃんと自覚してきていて、本当はてるが私にくっついてるのを羨ましいと思ってるのだろうけど、
我慢してるんだなぁと思う。
そんな彼の顔を見て、こちらもかわいいなぁと思う。
二人の寝顔が、幸せだなぁとつくづく感じる瞬間だ。
家に帰宅して次の日。
朝ごはんを食べるのを手伝う。
ほんとにゆっくりしか食べれなくて、量も少しだった。
病院と連携していて、家に来てくれる在宅のお医者さんが来てくれた。
父が便が出ないので、指で掻き出してくれた。
とても痛そうだったけど、終わった後はすっきりしていた。
便は薬の影響か、灰色だった。
マッサージの仕方も教えてもらった。
そのあと、シャワーにも入れてくれた。
出てきた父はとても気持ちよさそうだった。
その日は父の姉もお見舞いに来てくれた。
病院にもお見舞いに来てくれていたけど、最期だと思ってもう一度会いに来てくれた。
昨日は、歩けていたのに今日は歩くことができなくなっていた。
我が家には、4歳(がく)と2歳(てる)の息子がいる。
二人とも8月産まれでちょうど2歳差。
最近は、弟が話せるようになってきた。
兄は、弟に自分のまねをしてほしくてたまらない。
今朝は、まず兄が「オッペ(ほっぺ)」と言っていた。それを弟が忠実に再現する。
「オッペ」の発音が少しでも違うようなものなら、兄が「違う!」と言ってもう一回、「オッペ」と言う。
できたら、兄は満足げに「そう!」と言って、違う言葉を話す。
こういうやりとりを最近二人はよくしていて、二人でゲラゲラ楽しそうに笑っている。
今は子育てが、本当に楽になった。てるも話せるようになってきて、がくと一緒に遊ぶようになった。正確に言うと、
がくが照と一緒に遊ぶのが楽しくなってきたようだ。今が一番かわいい時かもしれない。
てるはよく泣いた。
がくは、生後1~2か月は、授乳したら後は寝るという感じで、
寝ている時に俊足で買い物にも行けた。
が、てるは置くと泣くタイプだった。
高槻にいたときは、よく寝てくれいて助かったのに、と
思って、赤ちゃん訪問に来てくれた助産師さんに相談したら、
置いたら泣くタイプの赤ちゃんの方が多いわよとということだった。
旦那は家で仕事をしているから、泣き声が苦痛のようだった。
友達から借りた新生児用の抱っこ紐をつけて、近くのライフまで買い物に行ったり、家事をしていた。
晩もなかなか寝ないので、寝かしつけの為に夜のライフの買い物に行ったりした。
また、よく泣く分、空気を吸うらしく、ガスがお腹にたまりやすかった。
そのため、苦しくてまたなくという悪循環で、綿棒浣腸を1日に1回はしていた。
ひどい時は2回くらいしていた。
京都に戻って、最初のがくとの対面は緊張した。
私が戻った日に、横浜から来てくれた義理のお父さんは、帰って行った。
てるを見て、喜んでくれた。
料理や掃除など本当にありがたかった。
がくとの対面は緊張した。
お葬式以来だった。
1か月ちょっといなかった母を恨んでいるに違いなかった。
保育所から帰ってくる時間に、ドアを開けて「おかえり」と迎えたら、
がくは、にこりともせず踵を返して、旦那の方に走っていった。
全く喜ばなかった。
「じいじは?」ときいていた。
自分とがくとの距離に改めて気づいた。
京都に戻って、がくとてると旦那と私の4人の生活が始まった。
久々に家族が揃ったという感じだった。
がくへのてるの反応が気になっていたが、最初は無反応だった。
無理もなかった。
てるが産まれた時に一瞬対面しただけだった。
顔を覗き込むこともなかったし、喜んであやすこともなかった。
ただ、てるが泣くとうるさいのか両手で耳を塞いでいた。
こんなんでやっていけるのかなぁという不安な日々の始まりだった。
父のお葬式は8月26日に行った。
私の誕生日だ。
さて、父のお葬式でバタバタしていたけど、京都に帰るタイミングをいつにしようかと迷っていた。
本当は、てるの1か月検診までいたいけど、がくの様子も気になる。
旦那は早く帰って来てという。
てるの2週間検診くらいの時に助産師さんに言われた。
「お母さん、一人になったし、一緒にいてあげた方がいいよ。子供はその時だけで、後になったら問題ないから。」
「旦那さんの言う通りにして、自分の主張をしなかったら後々も自分の主張を言えないよ」
確かに。
父が亡くなって、母が憔悴しているのはわかっていた。
母自信も乳がんを患っているから、それが悪化するのも怖った。
父が亡くなってから、原因不明のアキレス腱を傷めるということもあったし。
てるがいたら、赤ちゃんの存在で和まされることも多いだろうし、考えなくても済むこともあるだろう。
けれど、旦那からは限界だという悲鳴があがっていた。
だから、私は3週間目に入る前に京都に帰った。