私が日々思うことのつぶやき.
昨晩、来週に休館してしまう温泉に行ってきた。
休館する理由が今年(2018年)の大型台風(21号)で多大な被害を受けたことが原因だそうだ。
温泉でしかも建物は無事のように見えて、なぜ台風の被害で休館なのか?というと、高槻樫田温泉は大阪森林組合の施設で、木材の伐採時に発生する伐採材を木質バイオマス燃料「ペレット」にして、そのペレットを燃焼させて鉱泉を温めるというしていた。
少しでも環境に良いことをポリシーとして、この温泉施設は運営されていた。
写真の建物の周辺は林で囲まれているが、この林が台風によって大きな被害を受け、温泉施設以外の様々な個所を含め運営が難しくなったという背景がある。
台風が年々大型化すると予想されている昨今、台風による被害を減らす為に植物のことをもっと知り、温室効果ガスだと考えられている二酸化炭素の固定にすがらなければならないと改めて感じた。
台風のことを意識せずに環境に抗うように施設栽培や施設内の自動制御を進めていくと、取り返しのつかない悲惨な状況になるような気がして、最近のIoTのスマート農業には将来がないとさえ感じている。
余談だけれども、樫田温泉の成分(1kg中)だけれども、
カリウムイオンが2.0mg
マグネシウムイオンが1.1mg
カルシウムイオンが3.2mg
マンガンイオンが0.1mg
鉄(Ⅱ)イオンが6.7mg
鉄(Ⅲ)イオンが0.1mg以下
硫酸イオンが5.0mg
硝酸イオンが0.1mg以下
リン酸水素イオンが0.1mg以下
炭酸水素イオンが287mg
炭酸イオンが18.0mg
メタケイ酸が40.5mg
メタホウ酸が5.7mg
銅イオンが0.11mg
亜鉛イオンが0.07mg
と記載されていた。
※植物が利用すると言われる要素のみをピックアップ
鉱泉に影響を与えるであろう山の地質を確認してみると、
チャートが主の堆積岩とところどころに海底火山がある。
最近は銅はどんなところにあるのか?に興味があり、今回の温泉の成分表と地質図を合わせることで、なんとなくだけれでもイメージしやすくなった。
樫田温泉周辺は手入れが行き届いていて、植物の観察がしやすかった場所なので時々利用していました。
最後になりますが、今まで素敵な施設を提供して頂き誠にありがとうございました。
前回までのあらすじ
京都と大阪の県境にある本山寺周辺で、
海底火山によって生成された枕状溶岩があるというドキュメントを発見したため、
先週末に本山寺(ポンポン山)に行ってみた。
ドキュメントに記載されていた地図を元に枕状溶岩の露頭箇所に行ってみたら、
そこには緑色になった溶岩があったとさ。
きっとこういうところから、
農業や工業で利用する粘土鉱物を採掘するのだろうなと。
これらの知識は後々客土の土をどこから運んでくるか?
の大きなヒントとなるだろう。
露頭紹介 -西山,川久保渓谷中流に見られる緑色岩周辺-より引用 一部改変
知識はより多く取得した方が良いというのがモットーなので、
赤丸で示したスランプボールという露頭箇所にも行ってみた。
地図を見ると小さな小川が川久保渓流と合流する箇所に位置しているので、
この箇所がどこであるか迷うことはなかったのだけれども…
この話を進める前にスランプ構造について触れるために下記の記事を紹介しておく。
スランプ構造は海底での地すべりということがわかった上で、
川久保渓流と合流する小川周辺を見てみると、
地層が斜めになっていた。
この箇所に関する記述はスランプボールになっていたため、
説明文を抜粋してみると、
スランプボールと呼ばれる岩相は,相対的に泥質物が多い砂泥互層のスランピングの際に,泥中に砂岩がボール状やレンズ状にちぎれて偽礫として含まれるようになった堆積物です。このような堆積物は海溝陸側斜面の崩壊堆積物に多く見られます。
とある。
露頭紹介 -西山,川久保渓谷中流に見られる緑色岩周辺-の地点①:スランプボールの項目から一部抜粋
今の経験値では砂岩がボール状であったり、レンズ状にちぎれてというのがどの箇所を指しているのか?はわからないけれども、地質関連の仕事をしている方はこういうところからヒントを得ているということはわかった。
経験値をためて、
近い内にポンポン山には再チャレンジしてみよう。
余談
地図に記載されている地点④の衝上断層はどう見れば良いのかわからなかった。
前回、京都と大阪の県境にある本山寺周辺で
海底火山により生成された枕状溶岩と、枕状溶岩が風化して出来た土を見た。
風化してできた土は真っ黒な土をしていた。
本山寺周辺では地質の観察ポイントが大きく分けて4箇所あるので、
露頭紹介 -西山,川久保渓谷中流に見られる緑色岩周辺-より引用 一部改変
本山寺から少し離れて、
川久保渓谷というところに向かってみた。
地図の真ん中辺りのヘアピンカーブより右側に緑色岩のエリアがある。
このエリアの緑色岩は
どことなく白っぽい色にところどころに緑があるという感じ。
崩れ落ちていた岩の破片があったので拾ってみてみると、
表面は薄い緑をしていた。
この緑は緑泥石によるものらしく、
この石をまじまじと見れば見るほど、
破砕すれば鉱物系の肥料として使用できるのではないか?
と思えてくる。
客土用の土を求めて山に入る時は緑色岩を求めれば良い結果になりそうだ。
前回のあらすじ
京都が位置する丹波帯を理解したくて資料を探したら、京都と大阪の県境にあるポンポン山の山頂付近の本山寺で枕状溶岩の露頭が見られる箇所があるというドキュメントを発見した。
というわけで早速本題へ
露頭紹介 -西山,川久保渓谷中流に見られる緑色岩周辺-より引用
この地図は発見したドキュメントに記載されていた本願寺周辺の露頭箇所が記載されている地図。
今回は
赤い枠で囲った箇所に行ってみることにする。
断層を境に北側が枕状溶岩である緑色岩で、南側が砂岩頁岩互層となっている。
先に緑色岩に触れておくと、玄武岩質的な溶岩由来の岩が水による変成作用によって緑色に変色した変成岩となっている。
それでは南から北(標高が高い方)へ出発。
地図の南側の方は薄い茶色の岩の露頭が続き、
植物の根が入り込んで、土へと風化しかかっているところの土の色もどことなく真砂土っぽい色をしている。
この箇所は砂岩頁岩互層となっているので、砂岩の層の風化ではなかろうか?と勝手に判断。
ある程度進むと
斜めの線が入り、写真の右側から岩肌が丸っこくなっている。
ここが地図に示してある断層の箇所であるか?は私の素人の観察眼では判断出来ないけれども、なんとなく違っているように見える。
更に北(標高の高い方)へ進んでみると、
岩肌が濃い緑っぽく、さらに丸っこくゴツゴツした露頭へと変化していく。
風化が始まっている箇所を見ると、
紅とか黒とかが混じっていて、
植物の根がしっかりと入っているところだと、まさに黒ボク土!のような真っ黒い土があった。
非アロフェン質の黒ボク土は玄武岩由来の火山灰が風化した粘土から形成されるとあるので、今回は枕状溶岩の水の作用による変成岩でちょっと違うけど、最終産物の粘土は同じはずなので、本山寺手前に黒ボク土があっても問題ない。
とりあえず今回の記事の最後に地質図を確認してみると、
1億6000万年前あたりに形成された付加体となっており、
周辺の緑は玄武岩となっていた。
今回の緑色岩は枕状溶岩となっていたため、海底火山となっていた。
付加体となったのは1億6000万年前以前になっているけれども、海底火山はこれよりはるか昔の話になるはずなので、
この黒ボク土っぽい土の原料は、3億年とか相当古い頃に噴火したものなのだろうなと。
その頃の資源で現代の人は栽培で利用する。
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先日、長野県の大鹿村にある中央構造線を学びに行った時、
中央構造線の博物館が発行している書籍で温泉に関する書籍を購入する。
その書籍には火山性の温泉と非火山性の温泉の説明が記載されており、
非火山性の温泉の説明の箇所で有馬-高槻断層帯という内容が記載されていた。
高槻といえば、頻繁に行くところなので、
もしかしたら、
(株式会社誠文堂新光社 / 年代で見る 日本の地質と地形 11ページより引用:一部改変)
この地図でいう丹波帯を理解できるかもしれないと、
高槻断層について調べてみた。
丹波帯を理解できれば、
活動拠点である京都のことがもっとわかるかもしれない…
ネットの論文検索でおそらく京都教育大学のサーバ内であろうところに保管されていた
というドキュメントを発見した。
このドキュメントでは、
京都と大阪の境にポンポン山という山があり、
その山の大阪寄りの南側に本山寺(ほんざんじ)がある。
その本山寺の周辺に地層を学べるスポットがあるという。
上記のドキュメントには、
標高500メートル付近の本山寺周辺で枕状溶岩(まくらじょうようがん)の露頭が見られるという。
とりあえず、
本山寺周辺の話題に移る前に枕状溶岩について触れておく。
※大阪市立自然史博物館で撮影
これは博物館で展示されていた和歌山県で採取された枕状溶岩。
枕状溶岩が何なのか?を
普段頼りにしているフィールドガイドを開いてみると、
枕状溶岩ができる場所は海底火山で
本から説明文を抜粋してみると、
イラスト:株式会社誠文堂新光社 / 増補版 地層の見方がわかる フィールド図鑑 78ページより抜粋
粘性の低い玄武岩溶岩が水中に流れ出すところでは、独特の構造を持った溶岩流ができます。急冷固結した溶岩流の表面を突き破ってマグマが前方に流れ出し、細長いソーセージが折り重なったような地層をつくる。
株式会社誠文堂新光社 / 増補版 地層の見方がわかる フィールド図鑑 77ページより抜粋
粘性というのは玄武洞に行った時に話題に挙がったので、そちらの記事を読んでもらうとして、
枕状溶岩のこともわかったし、
ドキュメントに記載されていた地図を片手に
丹波帯を知るための探索に出発しよう!
-続く-
先日の天龍峡の一件から川と渓谷の不思議さが気になってしまったわけで、
今まで訪れた他の渓谷がどうなっているのか?
を改めて調べてみることにした。
というわけで、
今回は大阪の高槻にある摂津峡を見てみる。
先にそもそも渓谷とは何なのだろう?ということで渓谷を調べてみると、
地図においては、尾根とは逆に等高線が凹状になって表れる。
成因により、河川や氷河の侵食によってできた侵食谷と断層や褶曲によってできた構造谷とに分けられる。よく見受けられる谷は河川の浸食による浸食谷である。(途中省略)谷を流れる川のことを渓流という。
と記載されていた。
つまりは、
川が山を削るか地震で谷を形成し、その谷を川が流れれば渓谷
という解釈で良さそうだ。
これらを踏まえた上で、摂津峡の地質を見てみると、
複雑に変形した付加体とあり、
これといった明確な何かがあるかは判断できない。
※茶色の箇所がチャート、ピンクの箇所が花崗岩
山や谷が出来た時、
付加体の地域なのでおそらく隆起で形成された土地なのだろうけど、
隆起の時の傾きあたりで川の流れる向きが決まり、
その後に侵食で谷を深くした
という解釈以上のことは今のところできないな。
川は難しい。
いや、他のどれもが難しいので川も難しいという表現が正しいな。
大阪には高槻市というところがあって、
阪急電鉄で京都駅と梅田駅のちょうど真ん中あたりにある。
駅前は活発で、
大企業の工場もたくさんあって、
素人目から見ても税収が多そうだ。
そんな高槻だけど、不思議なことに
駅前から自転車で30分もかからないところに
摂津峡という渓谷がある。
こんな景色にも関わらず、
ここにくるまではハイキングコースですらなく、それなりの準備することなくここまで来ることができる。
川には人が到底運べなさそうな巨岩がたくさんある。
少し歩くと、
白滝という滝もある。
白滝付近から歩きにくくなるので、歩きやすい靴でなければならない。
滝があるということは高低差がある。
高低差があるということは滝付近から傾斜がきつくなる。
滝の横に登れる道があるので登ってみると、
行者岩という看板があって、
この看板に従って登ってみると、
※登った後に下を見たところ
そこそこの高さのところに
広角レンズでなければ全体を撮れなさそうな巨岩があった。
高台に巨岩があるとなんとも不思議な感覚になる。
ここまでこれほどの大きな岩を持ってきたわけではないだろう。
はるか昔にこの岩の周りが風化して土となり、
地すべりを起こしてこの岩が露頭したのだろうな?と勝手な予想をしてみる。
いずれこの石もどこかの箇所で割れ、
こんな感じで川に落ちていくのかな?
先日、身内の誕生日ということで、身内の希望によりぼたん鍋(イノシシ鍋)をごちそうすることにした。
大阪の高槻の原大橋付近に原養魚場という鯉の養殖をしているところで提供されるぼたん鍋が絶品とのことで、ここに決めた。
この時期のイノシシは油がのっているけど、仕留めた後の処理がうまかったり調理がうまかったりと、見た目程こってりしておらずさっぱりしていて美味だった。
今回紹介した原養魚場
原養魚場 | 鯉料理 | すっぽん料理 | 大阪高槻市 | 関西 | レジャー | 川遊び | 自然 | おでかけ家族 |
ここからが本題だけど、ぼたん鍋をお金を払って食べにくる日がくるなんて、獣害で頭を悩ませていた頃には想像すら出来なかったよ。
誰かが仕留めたイノシシがよそ者の自分にも配られて、イノシシ肉は無収入だった頃の貴重なタンパク源で、お金を出して食べるというイメージは無かった。
ある冬の日、風呂から上がって、農村で大変お世話になっていた方からビールを頂いていた時に電話がなった。
当時、他にいた研修生の方からだ。
師の畑にイノシシが入った。
今すぐきてください。
まさか夜に外に出るなんて思ってもいなかったから、髪をほとんど乾いていない。
だけど行かなければならないので急いで着替えて畑に行った。
師匠の畑は1haクラスの区画がいくつかあるところで、夜の暗さだと畑の奥の方がよく見えない。
足音は聞こえる。
手前の方で負傷して倒れている人がいた。
当時いた研修生のもう一人だ。
全治半年近くの怪我を負っており、直後に入院した。
30分ぐらいして、足音でこちらに向かってきている事がわかった。
(写真:当時研修生だった方のサイトから引用)
後日聞いた話だと200kg近くのイノシシだったらしいけど、運悪くこのイノシシと目があってしまった。
何かイノシシが突進してくる準備をはじめて、こちらに全力で走ってくる。
この時、ハウスを固定する螺旋の杭を二つ持っているだけで、イノシシに投げたのだけれどイノシシに当たらずでこちらに突進し続ける。
人生終わったよと思ったよ。
80kgぐらいの人を余裕でぶん回していたもんな…
この時、すごく運が良くて、前日にイノシシにやられた彼とイノシシ向けの簡単なトラップを仕掛けていたんだけど、その仕掛けがちょうど目の前にあって、イノシシがそのトラップに引っかかって走れなくなった。
勢いを失ったイノシシは、逆を向いて走り去っていった。
四方フェンスに囲まれていた畑だったけど、フェンスを破壊してイノシシは山に去っていった。
農村で大変お世話になった方の家に戻り、アワの抜けたビールがもったいないので飲んで寝た。
乾いていない髪の状態で外に出たので、翌日は頭痛だった。
翌日、農村を歩いていると、
師のところにいる若いやつがイノシシにやられたのに生きているぞ。
若いやつといえば齋藤だよな。
あいつ細身なのに生きてるのが奇跡だよな。
という噂が流れていて、
いろんな方にどうやって生き残った?と意味不明な質問をされ続けた。
頭が痛かったので、返答は本気で困った。
翌日の質問攻めも含め、イノシシとのやりとりは今となっては良い思い出です。
実はこの時、イノシシがどんなに頑張っても破れなかったフェンスがあって、そのフェンスを元に作られたフェンスが周辺に広まったのだけれども、その話は次回にでもすることにしよう。
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