私が日々思うことのつぶやき.
田植えから定期的に観測していたイネが無事に収穫を迎えたそうだ。
驚くべきことに写真に写っている田は今年のウンカの当たり年で周辺も相当の被害を受けている中、殺虫剤を使用せずに収穫までこぎつけたそうだ。
更に驚くべきことに、すぐ近くにあるもう一つの田では殺虫剤を使用したにも関わらず、ウンカの被害があったそうだ。
すぐ近くといえど環境条件は異なるので一概に言えないが、一作を通して見てきたものには多大な価値があることは間違いない。
こちらの田の事を整理すると、
・冬期にレンゲを栽培していた
・田植え後の栽培は地域の肥培管理、水管理と合わせる
ということだけれども、レンゲ栽培の方で土壌改良材を活用し、
レンゲの鋤込み後にコロコロと小さな塊の比較的軽い土になった状態で田に水を張り田植えを行っている。
今作得た知見を元に次作の肥培管理を見直し、秀品率の向上のためのノウハウとして昇華していきたい。
余談
高槻で他にもいくつかレンゲ栽培を行っている田があったが、どの田もウンカの被害が多かったそうだ。
ミツバチによる花蜜と花粉の持ち出しの影響は思った以上に大きいのかもしれない。
開花させることが前提のレンゲを栽培する時に注意すべきこと再び
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高槻の清水地区のレンゲ米の水田の田起こしの記事で、レンゲ米をされている方の田を見た。
この田はいつも通っている道にあるので、通る度に経過を見ている。
先日、この田で入水して田植えをしていたので、水の濁り具合やプランクトンの増殖具合を見ていた。
周辺には田がいくつもあるので、大きく目立っていた違いが、おそらく動物性プランクトンだろうけれども、茶色いもやが一気に広がったことと
その後の浮草の発生で、浮草の上にハエが集まっていた。
浮草の発生は所々の田で発生しているけれども、ハエが集まっているのが目立っていたのは今のところレンゲを鋤き込んだこの田だけだ。
※数匹の箇所はちらほらあった。
このハエは何しに来ているのだろう?と考えてみた所、ショウジョウバエのことが頭に浮かんだ。
ショウジョウバエといえば、有機物が発酵した際に発生するアルコールに惹き付けられる習性があるので、この田でも酵母あたりが活発になってアルコールが発生しているのでは?
帰宅後に水田とハエで調べてみたら、ミズアブとヤチバエが今回の条件に該当していた。
ミズアブであれば、成虫は無害で幼虫が水田の有機物を食べている事になり、ヤチバエはどうやら稲作に対して益虫らしい。
写真を見る限り、今回撮影したハエ?は前者のミズアブの方だろう。
ミズアブであれば、鋤き込んだレンゲを狙っているはずで、分解しきれなかった有機物を処理しているので、ミズアブの幼虫が稲作の肥料になるのだろうな。
追記
他の水田で見かけるカブトエビはもちろんこの田にもいた。
オススメの読み物
ラオスの養魚餌料として有望なアメリカミズアブの周年採卵技術 | 国立研究開発法人 国際農林水産業研究センター | JIRCAS
初春にサクラやツツジが咲いた後、夏から秋に向けて咲く花が少なくなるのでは?という話題があってから、移動中は意識的に花を見るようにしていた。
高槻の原から京都の亀岡方面への移動中、
ところどころで、鈴なりの黄色い花が目に付いた。
葉を見ると小葉が丸葉で羽状に偶数で配置しているので、偶数羽状複葉でおそらくマメ科の低木だ。
この植物は何だろう?と望遠のカメラを介して見てみると、
私のイメージにあるマメ科の花とは異なり、花弁が開いた状態になっている。
この草は何だろう?と今まで見てきた様々なマメ科の花を思い返してみると、マメ科のエビスグサ(ケツメイシ)が浮かんだ。
ただし、エビスグサの開花時期はもっと遅いし、そもそもこんなに鈴なりに花を付けなかったはず。
というわけで、エビスグサが分類上、マメ科ジャケツイバラ亜科に分類されているので、ジャケツイバラで検索してみたら、ちょうどこの時期に開花するとWikipediaに記載されていることが目に付いた。
実際のところ、この花が何なのか?はわからないけれども、この時期に大型なマメ科の花が開花するのは大きいので、注目していくことにしよう。
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水田の冬季にレンゲを育てるという伝統的な稲作に注目している。
住んでいる高槻市の北部で、自転車等で走っていると所々で田植え前にレンゲを育てているところを見かける。
レンゲは養蜂において主要蜜源の一種である為、ミツバチ問題を解決できる一手になることは間違いなくて、ミツバチ問題は農林業の根本になるので、連鎖的に良くなるかもしれない。
高槻市清水地域産米粉の清水っ粉の記事で紹介した米粉を製造している方の水田では、米の品質向上の為に水田の冬季にレンゲを育てていて、今年で3年目になるそうだ。
知見を増やすと意味合いで、場所を教えていただいて、定期的に観察することにした。
早速先週レンゲを鋤き込んだということで行ってみた。
最初に気が付いたのが、トラクターのタイヤの跡がないこと。
※レンゲ二年目のところもあるが、二年目の方が全体的に荒かった
土に有機物がないと、土の粒子同士がつながって、トラクターのタイヤや刃が残りやすくて、作業性が落ちるけれども、レンゲの栽培によって土が軽くなっているみたいだ。
地域的に土が軽い可能性があるかもしれないと隣のレンゲをしていない土を見ると、上の写真のような大きな塊が目立っていた。
レンゲを栽培していようが、していまいが、トラクターで耕す時には何らかの草が生えているところを走るので、土が軽い方がトラクターの刃の摩耗は低くなる可能性が高い。
近くで見てみると、
大きな土の塊はなく、コロコロとした軽い土となっていた。
これから植えるイネの根の発根の物理的なストレスが減り、おそらく発根量が増えるので、ミネラル系の肥料の吸収が活発になるはず。
この水田で収穫できる米が楽しみだ。
補足
今回の水田では台風時期の倒伏防止の意味合いの土作りの為にベントナイトを入れているので、これからの様子見は冬季のレンゲ栽培の有無による正確な比較を行っていくわけではない。
補足2
冬季のレンゲ栽培で狙える最大の効果は根圏微生物叢の向上で、土壌中の様々な有機物を土になじませることが速くなること。
一般的に言われるマメ科緑肥の根粒菌による窒素固定は微生物叢の向上に繋がる。
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こんにちは~!嫁の亮子です。
前回、米粉パン失敗したので、早くリベンジしたいと思いながら、1週間以上経ってしまいました。
ところで、バターってまだ品薄なんですね!近くの某スーパーで買おうと思っていったらバター一つもありません・・・
さて、前回パンが膨らまなくて失敗だったので、今回は、膨らませるためにちゃんと砂糖入れましたよ~
砂糖以外の材料はこちら。
強力粉と「清水っ粉」の割合は前回と同じ分量、強力粉180g、清水っ粉150gでいきます。
そこに砂糖を15g、バター20g、塩1g、スキムミルク4g、水220ml入れました。
イーストは、3g。
バターが加塩バターなので、本当は塩を3g入れようと思ってたとこを1gにしてみました。
これをHELTHY CHEFのベーカリー入れてセットします。
さてさて、今回は、膨らむかなぁ?
焼きの段階で見てみると、膨らんでます!!
これは期待できそう!
できあがりは、こんな感じです。
やっぱり上の部分の焼き色は薄いですね。
外は、
いい感じの色合いです。
中はどうでしょう?
う~ん、切る時にかなりボロボロしますね。
でも前みたいに固まっているところと、そうでないところのむらが少ないかな。
でも強力粉と米粉が綺麗に混ざっているともいえない様子。
このあと、我が家で重宝しているグラファイトトースターアラジンで焼いて食べてみました。
美味しかったです!特に外側の部分がカリっサクッという食感です。強力粉だけで作った時より、耳が硬くない。
中は、どっちかというともっちり系ですね。
粉の配合変えたら、この食感も変わるんだろうなぁ。
昼ごはんに頂きました~。
ポークビーンズとの相性もばっちり。
ちなみにこのポークビーンズに
オーガニックファームHARAさんのキャロライナ・リーパーかけたら辛いチリコンカンに変身!
辛いのが好きな毅さんは、毎回かけて味の変化を楽しんでおられます。
よく考えたら、今日は高槻産のコラボのお昼でした~!
こんにちは!齋藤の嫁の亮子です。
今回は、清水っ粉を使ってホームベーカリーで米粉パンに挑戦してみます。
我が家で愛用しているホームベーカリーは
HITACHIのHELTHY CHEF MRO-RBK5000
https://kadenfan.hitachi.co.jp/range/lineup/mro-rbk5000/
レンジの中にパン焼き機をセットするタイプです。
ホームベーカリーの置き場所をとらなくて助かるし、レシピ通りに材料セットしたら美味しい食パンが簡単に焼けます。
レシピに米粉パンの作り方があるのですが、指定の米粉を使うよう書いてあります。
う~ん、ここを清水っ粉の米粉を使って作ってみたい!
ということで、配合を考えてやってみます。
レシピでミックス粉は、330gと書いてあります。
今回は、強力粉180g、米粉150gでいってみます。
半々にしようかと思ったけど、心もち強力粉多めにしてみました。
イーストは、3gとあるけど、いろいろこぼれた事件が発生し、これも4gぐらい。
多い分には膨らむだろうし、問題ないでしょう!
あとは、水220ml入れてセットするのみ。
あれっ?通常の強力粉で作る食パンなら、砂糖と塩とバター入れるけど、いいのかな?
まぁ、まずはレシピ通りにいってみましょう!
こんな感じでセットして、あとは、2時間くらい待ちます。
発酵と焼きも通常のパンより30分くらい長い設定になってます。
どうなるかなぁ。
出来上がりです!どうですか?全然膨らんでな~い!
途中も何度もオーブン見たのだけど、膨らむ気配すらなかったです。
焼き色もついてないし・・・
裏は、焼き色ついていてなんとかいけそうな雰囲気ですね。
断面は、
う~ん、これは生地がうまくまざってないのか、おもちみたいに固まってるところと少しパンらしい気泡があるところと別れています。
実食!
お餅をぎゅっとした感じですが、見た目よりいけます。これは、清水っ粉が質のよい米粉だから、まだ救われたのかな。
でも、イーストの味がします・・・
何で膨らまなかったのか、考察してみます。
そうだ!
いつもは、入れるお砂糖を入れなかったからではないのか?
イーストの餌ってお砂糖ではなかったでしょうか?
恐らく指定のミックス粉には、お砂糖や塩が入っていたのではないでしょうか?
今度は、お砂糖を入れて再トライしてみよう。
調べたら塩麹を砂糖の代わりに使って膨らませてる人もいる。
ドライフルーツのデーツを砂糖の代わりにいれてる人もいる。
いずれにしろ、砂糖の代わりになるものをいれないと、やっぱりイーストでは膨らまなさそうだな。
けれど、お砂糖を入れなくても、多少パンらしい気泡が出たのは何故なんだろう?
お口直しに、高谷ベーカリーさんの「清水っ粉」で作られた米粉のアンパンと米粉パンを食べました。
やっぱり、こだわりの塩や砂糖を使ってるから味が美味しいし、生地のもちもち感と食感が絶妙だわ。
米粉パンを作ってるパン屋さんは、相当研究されているんだなと痛感しました。
話は米粉に戻って、再度米粉の特徴を整理してみる。
米粉は小麦粉と比べてアミノ酸スコアが高く、油の吸収率が低いとされる。
米粉と小麦粉の話題で頻繁に挙がるのが、小麦粉のアレルゲンになり得るグルテンというタンパクがある。
タンパクが少なくて、アミノ酸スコアが高い。
この2つの内容を見て、米の栽培の歴史を思い出した。
米の育種について、売る覚えだけれども、食味の向上の為にタンパク質の含有量を減らすように選抜してきたという内容があった。
タンパク質は有用な栄養素であるけれども、タンパク質含有量が増えると米の食味が悪くなる。
分子育種の視点で上記のことを考察した時、光合成によりアミノ酸は合成されるけれども、米に貯蔵されるアルブミン(水溶性のタンパクという意味)の合成に関与するタンパクの一部欠損、もしくは発現量の低下によりアルブミンが合成されない。
材料はあるけれども、アルブミンは合成されないと考えると、米のアミノ酸スコアは向上する。
タンパク質は米にとっては食味の低下に繋がるけれども、アミノ酸は食味に深みを与える。
今回記載した内容はあくまで個人的な見解だけれども、こんな話があったら良いなと想像する。
他に栽培方法の変化があるけれども、それは下記の記事に記載したのでリンクの紹介で済ませることにする。
とりあえず、仮説を挙げ続ければ、それらを辿り、興味深い知見に到達できる可能性は増す。
前回の闘鶏野神社と闘鶏山古墳の記事で高槻にある闘鶏山古墳に徳島の阿波の青石があったという報告があることを紹介した。
高槻という徳島から離れていて、更に大阪の中でも海から離れているところなのになんで?という疑問が残る。
阿波の青石を海路で運搬したとしても高槻は遠すぎる。
ここで2つのことが頭に浮かんだので、今回はその話。
NHKのブラタモリという番組と以前投稿した佐賀平野は元々海だったかもしれないの記事で話題に触れた縄文海進という用語がある。
縄文時代には今よりも海抜が高く、現在でいうところの平野部が海であった可能性がある。
縄文時代の遺跡は海抜が高かった頃の海岸から少し進んだところにあるということで、全国で有名な遺跡は少し高台のところにあったそうだ。
※『日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語』(山崎 晴雄,久保 純子):ブルーバックス|講談社BOOK倶楽部の東北の章を参考にして記載
この視点で闘鶏野神社のある場所を地質図で確認してみると、
水色の個所が古墳時代では海だとすると、闘鶏山古墳が浅瀬に囲まれた丘陵の位置にあったように見えてくる。
他の視点で、地図の水色の個所の縁を囲むように分布しているのが大阪層群の海成粘土で、この場所が海であったことがわかる。
縄文海進によって上の地質図の水色の個所が海であったとするならば、
闘鶏山古墳のすぐ近くまで船で移動出来ることになるわけで、今でいう大阪の北部に位置する高槻に阿波の青石があっても違和感がなくなる。
※闘鶏山古墳の年代から考慮すると周辺は海だったとしても相当浅瀬だっただろうから、少し離れたところから青石を歩いて運んだかも
これらの知見から高槻の中部南部に広がる田畑は昔は海底だったのだろうなという歴史に浸れるようになった。
オススメの読み物
こんにちは。齋藤の嫁の亮子です。
先日頂いた高槻の米粉「清水っ粉」を使ってみました!
まずは、こちら!
見た目は、グロテスクな色になってしまったけど、ブルーベリー入りのホットケーキです。
いつもお菓子用の米粉を使って作っていましたが、同じような感じで清水っ粉で料理してみました。
材料は、「清水っ粉」、冷凍ブルーベリー、砂糖、ベーキングパウダーです。
いつもは入れる卵は入れ忘れました。
なので、少し色が悪いです。
毅さん、一口食べて、「うん?見た目よりいける!」
そうなんです、「清水っ粉」は、私が普段使ってたお菓子用の米粉より粒が細かいと感じました。
なので、出来上がりの舌触りが滑らかになるのかな?
次は、卵さえ忘れなければ見た目と味はばっちりです。
けど、卵使わなくてもいけたので、卵と小麦粉アレルギーの方にはこのレシピもありですね!
次に挑戦したのは、
鶏カツです。我が家では定番メニューです。
胸肉に清水っ粉を水に溶かした後、パン粉を付けてみました。
いつもは、小麦粉を水に溶かしたものを使うのですが、
「清水っ粉」は粒が細かいので、肉にまんべんなく液体がつく感じがします。
後、小麦粉を衣にした時より、油の吸収が少ないのかな?
翌日、温めなおした時の下に出る油が少なく感じました。
あっさりとした感じに仕上がります。
最後のレシピが、そばのガレットが一番「清水っ粉」の特性を生かしきれたような気がします。
では、写真で順に追っていきますよ~
ボウルにそばと麺つゆと「清水っ粉」を入れて、
春菊ととろけるチーズを追加して混ぜる
黒コショウも適当にふります
火をつけてバターを溶かして、ボールの中身を入れます
両面焼いたら出来上がり!
いつもは、片栗粉を入れて作るのですが、なかなかまんべんなく混ざってくれず、ボロボロになってしまうことが多いです。
水を追加して、「清水っ粉」を多めにしたバージョンと麺つゆの水分だけ「清水っ粉」にすわせるバージョンと試してみました。
この場合は、水を足して「清水っ粉」を多くするより、麺つゆの水分だけ吸わせる方がカリっといって美味しかったです。
今回使ってみて感じたのは、「清水っ粉」は、粉の粒子が細かいので、水分を吸わせて、まとめたい料理の時にすごい力を発揮するなぁ。かきあげとか、じゃがいものガレットとかにも使い勝手がよさそう!
高谷ベーカリーさん、いろいろ楽しませてもらいました。
ありがとうございました!
大阪府高槻市の氷室にある闘鶏野神社(つげのじんじゃと読む)に行ってきた。
この神社は不思議で、
鳥居をくぐった後、そこそこの段数の階段を登ると、
※写真は階段を登った後に後ろを振り向いて撮影
名神高速道路の上を歩き、
境内に到着する。
神社の外に立てかけてある看板を読むと、
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闘鶏野神社は、天照皇大神、応神天皇、天児屋根命(あめのこやねのみこと)等を祭神とする。創建の年月は不詳であるが、もとは八幡大神宮と称し、氷室の氏神として崇敬を集めたという。闘鶏野は、仁徳天皇六十二年頃、額田大中彦皇子(ぬかたおおなかひめのみこ)の猟場であったといわれ、奈良県の闘鶏野などとともに、記・紀の「氷室」発見伝承に基づく。また闘鶏を「ツゲ」と読むのは、鶏鳴(けいめい)が神託を「告げる」ことに由来するという。(以後省略)
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と記載されていた。
何故、この神社に訪れたのか?
それは看板の後の文章に記載されている内容が重要となる。
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ここより北の丘陵上には、南面した前方後円墳があり、闘鶏山古墳と呼ばれている。
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と記載されていた。
普段、古墳とは縁がない私が何故、闘鶏山古墳(つげのこふん)が気になったのか?
ある石が高槻にないか?と検索していた時に、大阪大学のとあるページが検索に引っかかり、その内容に闘鶏山古墳の記述があったので気になった。
福永伸哉 - 鳴門・板野古墳群を考える-政権と太いパイプ- - 大阪大学大学院文学研究科・文学部
上記のページから気になった個所を抜粋してみると、
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四世紀初めにつくられた闘鶏山古墳の石室に使われていたのは、阿波の吉野川流域で産する結晶片岩(いわゆる阿波の青石)だった。この古墳をつくる際に、阿波の豪族が何らかの形でかかわっていたことは疑いない。
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闘鶏野神社の裏には
阿波の青石がある。
石材はとても重い。そんな重いものを古墳時代といった時代に遠く離れた高槻の地に運んでいたことが不思議でしょうがない。
陸路で遠路はるばる?
それは無いだろう。
となると海路か?
そこで2つの事が頭に浮かんだ。
遺跡が発見される場所の傾向と高槻には大阪層群の海成粘土層があることだ。
-続く-