今年も昨年に引き続き、歳の数だけ豆を食べた。
いやいや、節分の炒ったダイズは好きなので、歳の数以上に食べた。
年齢に合わせたら相当お歳を召したことだろう。
節分の時期になったらいつも思うことがある。
節分の時、魔(マ)を滅(メ)するということで、
鬼は外、福は内と豆を投げるけど、
節分の文化が出来た頃、
炒ったダイズってそれなりに希少価値の高いものだったと思うんだよね。
一株あたりのダイズの収量って思った程多くないし、
炒る前のダイズは長い期間をかけて乾燥させるし。
そんな希少価値の高そうな豆を、
文化だからと豪快に投げていたのだろうか?
来年の畑の肥やしとして割り切っていたのか?
鳥に食わせていたのか?
豆まきってすごい文化だよなと、
豆を食べながら毎年感じている。