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カテゴリー : 地形・地質

 

山に生えるマツ

マツの葉と潮風までの記事で海岸に生息するクロマツについて触れてきた。一旦クロマツについてはここまでにしておいて、今度は他のマツについて見ていく。これから見ていきたいマツはアカマツになる。アカマツは山道で時々見かけるらしいが、針葉樹林のマツであるため森林の生存競争ではおそらく不利であるはず。この疑問を解消する為にアカマツについて調べていくことにする。アカマツといえばマツタケを外生菌根菌として共生することで有名だ。マツタケの...

 

マツの葉と潮風

松脂とは何か?までの記事でマツと日本人についてを見てきている。マツが浜辺を生息域として、他の植物が生育出来ない環境で生育していることに強さを見出し、松原の維持管理をすることで松脂といった燃料を得ることが出来る。更にマツから湧き出た水は美味しいときたら、マツを神格化したくなる気持ちはわかる。この話で触れておくべき話は他にもある。それは、マツが潮風に強いという特徴だろう。この内容に触れるために、他植物が潮風に弱い要因は一体何なのか?に触れておく必要がある。...

 

砂浜にマツにとっての栄養はあるのか?

古事記に記載された尾津岬の一本松を想像するまでの記事で日本人がマツを特別な木のように扱っている内容について調べていることについて記載した。特別視(神格化)している内容としては、上の写真のように他の木が生息できないような砂浜のような養分の少なく、潮の影響を受けやすい場所でも成長出来る事があった。ある程度植物学を学ぶと、これは森の中心や河原といった植物にとっての激戦地から追いやられたというイメージが強いが、それは一旦置いておく。若山神社のシイ林強さの象徴である海岸でマツが成長...

 

古事記に記載された尾津岬の一本松を想像する

ヤマトと松の記事で日本人にとって松は古事記の時代ですでに神格化されていたであろうことがわかった。古事記では倭健命(ヤマトタケル)が一本松を親友のように感じていたと記載したが、この内容で一つ気になったことがある。それは尾津岬の一本松のことだ。尾津岬と検索をしても、尾津岬というものは見つからず、尾津と付いた神社が、名古屋市の西部の高台を指していて、全然岬がありそうな気配がない場所になっている。ここでふと頭に浮かんだのが、尾津岬に津という...

 

八女のミカンは美味しい

妻が食料品店で八女産のミカンを購入してきて、八女はどこらへんにあって、八女で穫れるミカンは美味しいの?という話題が挙がった。先に個人的な見解を挙げると、日本のミカン栽培で上位三位以内に入る適地だと予想している。何故そう思うのか?を丁寧に見ていこう。八女は九州の福岡県南部で久留米の右側あたりにある地域で、航空写真で見ると山が多い地域となっている。八女はシトラスベルトと呼ばれる緯度で見た気候の視点でのカンキツ栽培の適地に含まれている。こ...

 

果物王国の山形県天童市はグリーンタフ帯に位置する

先日の山形北部からの帰りにラ・フランス等の果実やネギで有名な農家がいる山形県天童市に寄ってみた。山形の北部の盆地の更に北で緑泥石と出会った天童市は山形県中部の山形盆地に位置し、東北のグリーンタフ帯(緑色凝灰岩)に位置している。東北のグリーンタフ帯時間の都合上、天童市にある畑作の土をまじまじと見れなかったが、こんな感じで青い石や緑の石が多く感じられた。※上の写真を俯瞰して見ると赤い土になっている島根県出雲市のグリーンタフこれら...

 

山形の北部の盆地の更に北で緑泥石と出会った

所用で山形県の新庄盆地の北部にある真室川町を訪れた。車で山を登り、目的の畑にたどり着いた時に運命の出会いがあった。ちなみにだけれども、上の写真の畑は黒ボク土。黒ボク土は栽培しにくい土なのか?再考畑に入り、足元にあった石をまじまじと見てみたら、緑色凝灰岩らしき石があった。緑色凝灰岩といえば、2:1:1型の緑泥石を主の鉱物とする石だ。念のために真室川町で緑色凝灰岩を拾うことが可能か?を調べてみたら、馬場敬等 新庄盆地北縁部及位地域のグリ...

 

山形県の三盆地の成り立ちを探る

山形県の地形を俯瞰する為の整理の記事で山形県を大きく6つに分けて考えることにした。この分類により山形県の地質 - 東北地質調査業協会の内容が読みやすくなったので、山形県の成り立ちを見ていくことにする。大陸から日本列島が分離して、現在の山形県の場所はしばらくの間は陸地だったが、しばらくして沈降して海になるのでそこから見ていく。すごく雑に話を進めるので、詳細が気になる方は先程の山形県の地質のリンク先のPDFを見てもらうことにして気にせず進める。1500万年...

 

山形県の地形を俯瞰する為の整理

山形盆地のさくらんぼ栽培までの記事で山形について調べている旨を記載した。土地勘がないので、詳細が記載されているPDFが読み進められない状態だったので、片っ端から読んでいたら、山形の土地勘が向上するような良い内容の論文に出会ったので紹介する。その論文というのは、長津一雄 山形県の地質と鯨類化石の概要 - 日本海セトロジ一研究(11) : 41-47 (2001)で山形に存在していたであろう海の跡で見つかった化石についての記載になっている。山形に存在したであろう海と記載して、...

 

山形盆地のさくらんぼ栽培

東北のグリーンタフ帯に引き続き、山形についてを調べる。調べる時は思い付いたものから片っ端に詳細を調べることが遠回りのように見えて近道ということが鉄則なので、山形の名産に触れてみる。山形の名産といえば、さくらんぼが真先に浮かぶ。後で参考にしたサイトのリンクを掲載するが、先出しとしてさくらんぼのシェアを挙げておくと、山形のさくらんぼの収穫量は全国の7割を占めているそうだ。シェアの大半が一部に地域に限定されている時は、大体は地形と気候に因ることが多いので、産地の...

 

東北のグリーンタフ帯

近々山形に行く予定があるので、山形の地質を読んでおくことにした。下記のURL先にあるPDFを読んでみたが、現時点で山形の土地勘が無いため、地図と照らし合わせながら見ているが難しい。山形県の地質 - 東北地質調査業協会山形を含め、東北の地質に関してふと思い出したことがあるので、今回はそのことに付いて触れておく。以前、グリーンタフはどこにある?の記事で日本のグリーンタフの分布について触れたことがあるが、※図:鹿野和彦 グリーンタフの層序学的枠組みと...

 

黒潮の彼方にあると考えられた死と再生の異郷「常世」

和歌山の元伊勢の濱宮等の記事で話題に挙げている扶桑社から出版されている熊野から読み解く記紀神話〜日本書紀一三〇〇年紀〜を読み進めていたら興味深い内容が記載されていた。上記の本の166ページに/*******************************************/太平洋に面して暮らす人びとは、黒潮の彼方に死と再生の異郷「常世」があると信じていた/*******************************************/と記載されていた。...

 

甘夏ことカワノナツダイダイ

萩の武士とナツミカンの記事まででナツミカンことナツダイダイについて触れた。ナツミカンと関連するカンキツとして甘夏があるので、今回は甘夏について触れていく。甘夏はナツミカンことナツダイダイの枝変わり種で、ナツミカンと比較して減酸が早く酸味が少なく甘みが多いナツミカンを指す。枝変わり。原基の万能性昭和初期に大分県津久見市の上青江の果樹園の川野豊によって育種された品種であるため、カワノナツダイダイと呼ばれる。カワノナツダイダイ - Wikipedia大分とい...

 

萩の武士とナツミカン

ナツミカンとは何か?の記事でナツミカンについて触れた。せっかくの機会なので、もう少し触れておくことにしよう。最初にWikipediaからナツミカンの栽培の歴史のうちの日本伝来について見ておくと、/********************************************************/江戸時代中期、黒潮に乗って南方から、山口県長門市仙崎大日比(青海島)に漂着した文旦系の柑橘の種を地元に住む西本於長が播き育てたのが起源とされる/***********...

 

奈良県の吉野にある宮滝遺跡

古墳時代の人々はどのようにして適地を見つけたのか?の記事の続きで、古墳時代の人々の適地探しの話の続き。大鹿村の中央構造線安康露頭古墳時代前後の重要な場所というのが、中央構造線の南側の三波川変成帯にあった。和歌山の下津の六本樹の丘や三重の伊勢神宮等。和歌山と三重の間には奈良があって、奈良と中央構造線でも何かあるか?と検索をしてみたところ、Saigen Jiro - 投稿者自身による著作物, CC0, リンクによる奈良県の吉野に宮滝遺跡とい...

 

古墳時代の人々はどのようにして適地を見つけたのか?

和歌山の元伊勢の濱宮の記事の続き。※上の写真は田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?の記事から古墳時代の人々が神聖な場所であったり、果樹の適地を探す際、何を目印にしているのだろう?ということが気になっている。舗装された道路もなければ、地質図もないのに、なぜこうも緑色石帯を選ぶのだろう?※元伊勢の場合は緑色石帯でない場所が多いが、結果的に緑色石帯の場所を選んでいる。想像力をフルにかきたて、田道間守が辿った道を想像してみることにする。まず...

 

和歌山の元伊勢の濱宮

五十鈴川と瀧祭神の記事に引き続き、再び扶桑社から出版されている熊野から読み解く記紀神話〜日本書紀一三〇〇年紀〜からの話を続ける。伊勢神宮の建設にあたり、垂仁天皇の娘のヤマトヒメが日本各地を巡幸して候補地を探したという話があり、伊勢神宮よりも前の地名には元伊勢という名称が付いたという内容が記載されていた。※伊勢神宮関連の巡幸の伝承はヤマトヒメの前の代のトヨスキイリヒメから始まっている。豊鍬入姫命 - Wikipedia元伊勢についてを調べていったら、日本の文化についてもっと深く...

 

五十鈴川と瀧祭神

ヤマトヒメは五十鈴川を見て何を感じたか?の記事に引き続き、五十鈴川(いすずがわ)について調べる。五十鈴川は現在でも清流であると考えられており、伊勢神宮参拝の前に五十鈴川で身も心も清めてから参拝するそうだ。宇治橋・五十鈴川|皇大神宮(内宮)|神宮について|伊勢神宮神聖であれば、必ず関連した社があるはずだと検索をしてみたら、川の神を祀る社として瀧祭神(たきまつりのかみ)の記載があった。瀧祭神に関する説明で/*********************************...

 

ヤマトヒメは五十鈴川を見て何を感じたか?

田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?の記事で、古墳時代の熊野について興味がでたので、扶桑社から出版されている熊野から読み解く記紀神話〜日本書紀一三〇〇年紀〜を読み始めてみた。気になるんだったら、原文読めよと突っ込みたくなるだろうし、実際自分でもそう思っているが、漢文で記載されている原文はハードルが高すぎるので、上記のような解釈本はご愛嬌というところで。熊野から読み解く記紀神話|書籍詳細|扶桑社記紀神話で重要になってくるのが、木国と根堅州国の関係...

 

醤油発祥の地の湯浅町

橘本神社とヤマトタチバナで橘本神社を訪れた時、宮司さんとの話題で熊野古道で橘本神社より南方に醤油発祥の地があるということがあった。醤油発祥の地は橘本神社のある下津から南に向かって、有田を越えたところの湯浅町というところらしい。「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅|日本遺産ポータルサイトに拠ると、醤油の製造の前に、鎌倉時代に修行僧が中国から持ち帰った味噌の話題があり、味噌製造中に滲み出た汁を改良して作ったのが醤油だという記載がある。金山寺味噌 - Wikipe...

 

お茶の品質日本一を輩出するところは緑泥石帯

今回は八女本格和紅茶を頂きましたの記事の続き。福岡の八女で穫れるお茶といえば、品質日本一を輩出することで有名だけれども、現地で八女茶の美味しさの秘密を聞くと真先に土質が良いという返答があるらしい。最近は土質よりも地質を調べた方が精度が高いので地質を調べてみたら、緑泥石帯であった。福岡県八女市 - 20万分の1シームレス地質図V2愛媛のミカンが盛んなところは緑泥石帯の記事で触れた愛媛のミカンに引き続き、茶葉でも緑泥石が関連していたか。栽培は母岩が超重要であるとい...

 

田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?

六本樹の丘から田道間守の冒険を想像するの記事で、田道間守が常世国(とこよのくに)から持ち帰ったタチバナの木を始めて植えたと言われている六本樹の丘に行ってきた内容を記載した。田道間守は広い本州の中で、和歌山県の下津に常世国と似たような景色があることを知っていた、もしくは発見したことを不思議に思っていたが、六本樹の丘が熊野古道にあった事でその謎が解消した。と思ったが、次に生じた疑問として、田道間守が行きていた時代に、現在の熊野古道の場所が利用されていたのか?というものがある。この内容...

 

六本樹の丘から田道間守の冒険を想像する

今回は橘本神社とヤマトタチバナの続きで、田道間守とタチバナについての内容になる。上記URLの記事で、再び下津ミカンの地を訪れた事を記載した。前に下津を訪れた時は大雨だったので、行くことが出来なかった場所が多かった。今回はリベンジとして前回行けなかった場所を周っているわけだけれども、そのうちの一つで最も行きたかった場所として、六本樹の丘があり、やっと行くことが出来た。この場所はお菓子の神様こと田道間守(たじまもり)が常世の国(とこよのくに)から非時香菓(...

 

いろんな色の結晶片岩2

橘本神社とヤマトタチバナの記事の続き。神社の向かい側に堆積した場所に降りれる川があった。俯瞰する限りでは、大半の大きめの石が青のような緑のような石なので、緑色片岩であることは間違いないだろう。こういう景色は大歩危の三名含礫片岩で触れた大歩危の川でも見た。早速降りてみて、石をまじまじと見てみたら、様々な色の石が落ちていた。いろんな色の結晶片岩上のような薄茶色の結晶片岩を見かけたけれども、これは何の石が変成作用を受けたのか?を考えるのが楽しい。...

 

橘本神社とヤマトタチバナ

ファームプロさんに誘われて、再び和歌山県海南市の下津に行ってきた。下津のミカン前回訪れた時は時間の都合と大雨で寄れなかった場所があったため、今回は優先的に回った。橘本神社(きつもとじんじゃ)に行ってきた。橘本神社はお菓子の神様の田道間守が祀られている神社で、田道間守が10年かけて常世の国から持ち帰ったとされる橘(タチバナ)の木が植わっている。※橘本神社にはミカンに関する研究の資料館(常世館)もあるが撮影禁止の為、ここでは...

 

石英を多く含むであろう珪質片岩

緑色片岩の表面に無数の白い斑点の記事に引き続き、手元にある結晶片岩を調べてみる。今回の石は白い層が多い結晶片岩で、おそらく珪質片岩と呼ばれるものだろう。山と渓谷社から出版されているくらべてわかる岩石(文:西本昌司 写真:中村英史)で白い部分は石英という記載があるので、石英を多く含む結晶片岩である可能性が高い。土を理解する為に石英を見詰める白い箇所はすべすべとした感触で、このような感触は滑石を多く含む滑石片岩というものもあるらしいが、※冒頭の写真...

 

緑色片岩の表面に無数の白い斑点

キラキラ光る珪質片岩の記事に引き続き、手元にある結晶片岩を調べてみる。今回の石は表面に白い斑点が無数にある緑色片岩。山と渓谷社から出版されているくらべてわかる岩石(文:西本昌司 写真:中村英史)で白い斑点について記載されている箇所を探してみたら、白い点を斜長石の斑状結晶という記載があり、この斑点がある石を点紋片岩(てんもんへんがん)と記載していた。開聞岳から降ってきた恵み点紋片岩は緑色片岩に限らず、黒色片岩等でもあるそうだ。点紋片岩に関して...

 

キラキラ光る珪質片岩

来週、結晶片岩があるミカンの園地に行く予定があるので、いろんな色の結晶片岩に引き続き、もう少し結晶片岩について見ておく。園地で頂いてきた結晶片岩の一つに表面が光っている白色系の石があった。※写真ではわかりにくいが、石が全体的に薄く、層状の模様がある。山と渓谷社から出版されているくらべてわかる岩石(文:西本昌司 写真:中村英史)を読み進めてみると、結晶片岩内でキラキラと光っている箇所は絹雲母と呼ばれる鉱物に因るものであるらしい。絹雲母 - Wikipedia...

 

くらべてわかる岩石という良書と出会った

国内で栽培技術が最上位にいるであろう人たちのやりとりを見ると、自身の田畑や園地で母岩レベルで話をしていて、青い石が出る園地は良いミカンが出来るの記事関連のやりとりを見ていたら、結晶片岩という名称がよく挙がる事が目に付いた。母岩が風化したら、どのような色の土になるとか、その土はどのような癖を持つのか?といった話題が続いていた。岩石を見分けられると何かと役に立つのは直感としてわかってきたが、栽培指導書の母岩の記載から地質に興味を持った身で、地質学を専門的に学んだわけではない身として、似た...

 

いろんな色の結晶片岩

紅簾石片岩はチャート由来の変成岩の記事に引き続き、結晶片岩についての理解が進めば、母岩が土に与える影響の理解が進むはずなので、園地等で確保してきた結晶片岩を持ち出してきた。この結晶片岩はぱっと見た感じ、2つ以上の岩が圧縮して繋がった結晶片岩に見える。下記のページに拠ると下の黒い箇所は泥岩のような有機物を含んだ岩が強い変成作用を受けてできるらしく、泥質片岩や黒色片岩と呼ばれるそうだ。黒色片岩 - 用語の解説|地質を学ぶ、地球を知る|産総研地質調査総合センター / Geolo...

 

紅簾石片岩はチャート由来の変成岩

栽培者の求める最高の肥料は地下深くで形成されるの記事で結晶片岩の一種の緑色片岩の出来方について触れた。株式会社さきたま出版会から出版されているジオパーク秩父 公式ガイドブック 秩父に息づく大地の記憶で結晶片岩についてを読み進めていたら、結晶片岩には緑色岩由来以外で泥質片岩、砂質片岩や石英片岩といった基になる岩が異なる片岩の記載があった。そのうち、説明の文量の多いもので、紅簾石片岩(こうれんせきへんがん)という結晶片岩があった。この岩は興味深くて、マンガンを含む...

 

栽培者の求める最高の肥料は地下深くで形成される

青い石を理解するために鉱物の緑泥石化作用を見るの記事で栽培者にとって重要な青い石のうち、青い要素である緑泥石化について見た。長野の栄村小滝集落の米づくり玄武岩に含まれる黒雲母が熱水という弱い変成作用によって、枕状溶岩の空隙にはゼオライトが充填されている緑泥石となり、岩全体が緑色になることがわかった。緑泥石を中心にしてただ、これでは冒頭で触れた青い石こと、緑色片岩ではない。緑泥石化した玄武岩は海底火山に因るものだという話題に戻り、...

 

青い石を理解するために鉱物の緑泥石化作用を見る

地球の窓は栽培者にとっての栽培の教材でもあるの記事で、埼玉県の長瀞という地域は地下深いところでつくられた岩が地表で見ることが出来、地球の窓と呼ばれているそうで、日本の地質学発祥の地でもある。青い石が出る園地は良いミカンが出来るという言い伝えここで見られる岩は栽培者にとって重要な青い石であって、地球の窓は地質学だけでなく、栽培にとっても教材と成り得る可能性があると考えることもできる。というわけで、株式会社さきたま出版会から出版されているジオパーク秩父 公式ガイドブック ...

 

地球の窓は栽培者にとっての栽培の教材でもある

青い石が出る園地は良いミカンが出来るという言い伝えまでの記事で青い石こと、栽培者にとって結晶片岩の緑色片岩が重要であることが見えてきた。緑泥石を中心にして結晶片岩は本州では三波川変成帯と呼ばれる地帯で見られる岩となっている。三波川変成帯 - Wikipedia三波川変成帯は日本を横断する大断層である中央構造線の南部に位置していて、西は埼玉県の長瀞というところから、東は九州の大分あたりまであるとされている。※もしかしたら東西の両方でもっと長いかもしれない...

 

青い石が出る園地は良いミカンが出来るという言い伝え

ハウスミカンを栽培している方から下記のような連絡があった。※写真は下津のミカンの記事から/****************************************/4年前に行った和歌山のみかん園地で山頂に近い園地では緑色片岩のような石が多く、品質の良い温州みかんが作られ、山の下の園地では、黒黒とした土で水分ストレスをあまり必要としない中晩柑が作られていましたがこれもいい品質でした。昔から和歌山では青い石が出る園地は良いみかんが出来ると伝えられているそうです。 ...

 

愛媛のミカンが盛んなところは緑泥石帯

愛媛のカンキツ栽培の記事で愛媛のミカン栽培について見た。上記では愛媛と記載したけれども、実際のところは西予のミカン栽培を見た。西予のミカン栽培では石灰岩地帯がミカンの品質の向上に関与しているといった記載があったが、愛媛にも和歌山のミカンの産地同様中央構造線の地域があるわけで、当然ながら緑泥石の地帯がある。田道間守が目指した常世の国はヤンバルの事か?愛媛でミカンの栽培を始めた人は、愛媛内にもいろいろな地質の条件がある中で石灰岩の地帯を選んだのだろうか?と気になったので、愛媛...

 

愛媛のカンキツ栽培

鴫山の姫塚と緑色片岩の内容に引き続き、四国西予ジオパークの話題。西予といえば、愛媛のミカン栽培が頭に浮かぶが、特集①リアス海岸が育む、日本有数の柑橘|ジオサイト | 四国西予ジオパークという特集が記載されていた。興味深かったのが母岩となる石灰岩の働きでミカンの木の石灰(カルシウム)の供給源やpHの調整が挙げられていた。石灰岩質の地質帯では大半の作物の栽培が難しいというイメージがあったが、こうした地質が適した作物もいるものだなと思った。石灰岩の成り立ちから石...

 

鴫山の姫塚と緑色片岩

近所の博物館の図書コーナーで四国西予ジオパークのガイドブックがあったので読んでみた。ガイドブック | 四国西予ジオパーク力作のガイドブックだけあって、どのページも魅力的だったのだけれども、その中でも特に印象に残った事が2つある。その内の一つが※画像:鴫山姫塚|フォトギャラリー(無料写真ダウンロード)|愛媛県の公式観光サイト【いよ観ネット】より鴫山(しきやま)の姫塚だ。ここは不治の病にかかった京の姫様を祀った祠であるそうで、※画像:鴫山姫塚|...

 

久しぶりに関東ローム層の地域に行ってきた

久しぶりに関東ローム層の土質の地域に行った。神奈川県の新横浜付近にある畑の色近くで詳しく見てみると、パウダーのような土でトラクター等の刃が磨耗しにくく栽培しやすい土に見える。関東ローム層の土質といえば、活性アルミナ問題があるが、それは腐植質肥料があれば問題を軽減できるので気にする必要がない。リン酸値の改善の為のラッカセイ栽培で気をつけるべきところそんな関東ローム層の地域だけれども、近隣の畑の土を見たら、色が脱色しているところがちらほらと見えて、土を酷使して...

 

シークヮーサーの園地は海が見える山のところ

知人から沖縄のヤンバルの国頭村でシークゥワーサーの園地が写っている風景の写真が送られてきた。その写真というのが、これになる。この写真を頂いた経緯は園地と海までの距離感と、園地として採用している土地の地質を知りたかったということがある。この写真を撮影した場所のGPS情報を頂いたので調べてみると、岩相が玄武岩 海洋と記載されていた。国頭村 - 20万分の1日本シームレス地質図v2今回の撮影箇所の少し南の方の川で緑色片岩を見かけたので、今回の...

 

田道間守の墓は何処にある?

山辺の道のヤマトタチバナとミカンまでの記事で田道間守がミカンの親の種である橘を広めた内容を記載した。ミカンといえば、風邪の予防にミカンというけれどの記事等で記載しているが、日本の果実の代表的存在で美味で、しかも日本人の健康に大きく貢献しているであろうものなので、田道間守の行動は子孫たちに対して大きな影響を与えている。そんな田道間守だけれども、それはもう大きな功績であることは間違いないので、きっとお墓も立派なのだろうと調べてみたら、意外な内容だった。上の地図は後の平城京...

 

田道間守が目指した常世の国はヤンバルの事か?

下津のミカンの続き。常世の国から持ち帰った非時香菓を最初に植えた場所の記事で田道間守が遥か海の向こうにあるとされる常世の国から橘(後のミカン)を持ち帰り、和歌山県海南市にある下津という地域に橘を植えたという話を記載した。田道間守は橘を植える場所として、仙人の住まう場所に似た所を選んだそうだが、田道間守はどうして下津を常世の国に似ていると判断したのか?という事が気になった。なんて疑問は、実際に下津を訪れ、ミカンの山に登った時に少しだけわかった気がした。下...

 

下津のミカン

和歌山県海南市の下津付近でミカンを栽培している方にお会いしてきた。上の写真はミカンの園地になるが、傾斜にミカンの木を植えている。ミカンは日射量が重要なので、たくさんの木を植えつつ、品質を確保するとなると写真の箇所のような急な傾斜に木を植える事になる。他に水はけが良いが、乾燥機には保水性が高い必要があるため、小石と粘土鉱物が絶妙なバランスである方が味が安定するようだ。畑作であれば、排水性と保水性を同時に確保するには土作りが有効であるが、冒頭の写真のような箇所では堆肥は重...

 

常世の国から持ち帰った非時香菓を最初に植えた場所

知人から和歌山の下津という地域に一緒に行きませんか?と誘われたので事前に調べてみることにした。下津という地名から真っ先に頭に浮かんだのは、古代の港から土質を考えるの記事で記載した地名に津があることで、古代史においてこの地域では何かあるかも?ということだ。はじめに地図で下津についてを確認してみると、船が入りやすそうな箇所がある。港の付近には灯台のようなランドマークとして古墳があることが多いらしいので、下津の南北に古墳があるか調べてみたら、下津から少し...

 

渓流の浅瀬にオタマジャクシがやってきた

近所の川で石探しをしていたら、浅瀬のところにオタマジャクシがやってきた。オタマジャクシは石表面に付いているミズゴケ?らしきものを食べていた。この川は水が綺麗で流れも強い為、有機物が滞留するといった事がなくコケがあまり生えない。そんな中で石を突き続けているオタマジャクシを見ていると、ここで暮らすのは大変だなと思ってしまう。生息域毎に種類は異なるので乱暴な言い方になるが、オタマジャクシ(カエル)やヤゴにとって、水が綺麗な場所よりも中干しなしの田の水...

 

古代史における淀川の河口は何処だ?

日下の蓼津から河内湾の東側の端を知るまでの記事で地名に津があるところは古代史において港だったかもしれないという事らしい。この話題を読んだ時、近所の摂津峡がまっさきに頭に浮かんだ。調べてみると、つい最近まで大阪の北中部から兵庫県南東部までを摂津国(せっつのくに)と呼んでいたそうだ。古墳時代といえば大阪平野は河内湾と呼ばれ海であったたけで、次に気になるのは古墳時代における京都から流れる大きな川の河口は何処になるか?古代大阪の変遷|水都大阪のページに古代大阪の変...

 

古代史の船の材木は何か?

日下の蓼津から河内湾の東側の端を知るの記事で、後の神武天皇が船で移動した際の畿内で上陸したであろう港の話題を記載した。この話でどんな船で移動したのだろうか?という事が気になった。船で特に気になったのが材木の事で、どんな木を使っていたのだろう?この疑問を解消すべく検索をしてみたら、和船はどのように発達したか│54号 和船が運んだ文化:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センターのページにたどり着いた。神武東征よりもはるか前の話になるが、興味深い内容があったので最初に触れて...

 

日下の蓼津から河内湾の東側の端を知る

古事記の神武天皇に関する記載に白肩津(シラカタノツ)という記載がある。後の神武天皇が東へと旅立ち、畿内で上陸した古代の港であるらしい。白肩津は楯津(タテツ)や日下の蓼津(クサカノタテツ)とも呼ばれていたそうだ。楯津で検索をしてみたら、楯津(蓼津) – 國學院大學 古典文化学事業のページにたどり着き、奈良と大阪の県境にある生駒山の西側にピンが立っていた。このピンの箇所は国生み最後の地の大倭豊秋津島の記事で触れた現在の大阪の平野部は以前は河内湾と呼ばれる海...

 

弥生時代の人たちは緑色凝灰岩を好んだか?

古代の港から土質を考えるに引き続き、古代の港の話よみがえる古代の港 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社の序盤で京都北部にある丹後半島の内容が記載されている。丹後半島といえば、古代史において丹後には一つの国があったとされ、数多くの遺跡が発見されている。この内容は現在の丹後半島の観光のPRを見ていればなんとなくわかる。夏に丹後を訪れると、稲作発祥の地というのぼりが立っている事からもよくわかる。稲作発祥の地「月の輪田...

 

古代の港から土質を考える

吉川弘文館から出版されているよみがえる古代の港という本が面白い。よみがえる古代の港 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社上記の本は弥生時代から古墳時代を経て奈良時代へと変化していく事を港と航海を切り口にして考察している本になっている。この本で真っ先に目に付いた内容として、地名に津とついた場所は古代史において港であった可能性が高いという事だ。例えば、岡山には吉備津神社という古くからある神社がある。地図で見る...


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