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アーカイブ : 2023年09月

 

ブンタン、オレンジとグレープフルーツ

カンキツでグレープフルーツという種類がある。グレープフルーツという存在感があるカンキツについての歴史が興味深かったので、今回はそれに触れておく。まずはグレープフルーツの発見に関して見ておくと、Wikipediaには/****************************************************/ブンタン(英名:pummelo、学名:Citrus grandis)とオレンジ(学名:Citrus sinensis)が自然に交配したものであり前者の特徴を多...

 

自然発生したとされる三種のカンキツたち

原書房から出版されている食の図書館 - オレンジの歴史に引き続き、食の図書館 - レモンの歴史を読んでいる。レモンの歴史 - 原書房レモンもオレンジと同じカンキツに分類されるが、レモンはレモンで独特の広がり方をしていて興味深い。レモンの栽培が世界各地へ広がっていったことに関して興味があれば、上記の本を読んでもらうとして、これからカンキツを深く学ぶために必要なことをメモとして記載しておく。上記の本には下記の記載があった。/********************...

 

Selenium + php-webdriverでWebDriverCurlExceptionのエラーにハマった時の対処

Selenium + php-webdriverで両方のバージョンを上げたら、PHP Fatal error: Uncaught Facebook\WebDriver\Exception\Internal\WebDriverCurlException: Curl error thrown for http POST to /session with params: {"capabilities":{"firstMatch":[{"browserName":"chrome","platfor...

 

戦争とオレンジジュース

今回はオレンジの分類の記事で取り上げた本の内容の続き。カンキツの話で外してはいけないのはジュースだろう。ジュースには2つの背景があるそうだ。一つはオレンジの栽培が活発化し、オレンジ自体が余剰になってしまったこと。もう一つがとても興味深くて戦争に関すること。カンキツが戦争に繋がっていくことがカンキツの真価であるだろう。戦争といっても実際の戦いの方ではなく、兵の栄養に関しての話題になる。歴史上、カンキツが重要視されたのは、大航海時代における壊血...

 

ブラッドオレンジの赤紫の色素は何か?

オレンジの分類の記事で、オレンジの分類についてを見てきた。今回は前回の内容で触れていなかったブラッドオレンジについて触れることにする。ブラッドオレンジというのは、果肉の色が紅色になっているオレンジを指す。色の変化があるものを見ると、どうしても考えてしまうのが色素で、ブラッドオレンジは他のオレンジから何が異なっているのか?を考えてみた。花の色を決める4大色素最初にブラッドオレンジの色素に関して何も検索をしていない状態で考えてみる。カンキツの果肉で真っ...

 

オレンジの分類

原書房から出版されている食の図書館 - オレンジの歴史という本を読んでいる。オレンジの歴史 - 原書房この本はオレンジの歴史から、オレンジの種類や産業の内容を経て、人の生活とオレンジについて触れている。この本で、今後のカンキツの文献を読むにあたって整理しておくべき内容としてオレンジの分類についての記載があったので、内容の整理の意味合いで挙げていくことにする。本書ではオレンジの分類に関する検討について記載されており、最近の食用柑橘類の分類として、シトロン、ブンタン、マンダリ...

 

地中海性気候と温暖湿潤気候で育つカンキツたち

西回り経由で広がっていったカンキツたちの記事でオレンジに触れたけれども、オレンジの皮の厚さについて気になったので検索をしてみた。民間のサイト且つ引用元の記載がないページだったけれども、理にかなった理由が記載されていたページを見かけたので引用すると、/****************************************************/オレンジの皮が厚いのにはきちんと理由があり、オレンジが主に栽培されている地域は、ヨーロッパなどの乾燥した地域です。その為、皮を薄くし...

 

西回り経由で広がっていったカンキツたち

一灯舎から出版されている柑橘類の文化誌 人と歴史との関わりを読んだ。柑橘類の文化誌 人と歴史との関わり | 既刊 | Ittoshaこの本はヨーロッパを中心としたカンキツ(主にレモンとオレンジ)の広がりについて記載されている。カンキツの原産地といえば、インド付近なので、日本から見たら西に広がっていったカンキツたちというイメージで見ることが出来る。ヨーロッパにおけるカンキツの広まりは宗教的な宗教的な意味合いが強かったのが意外で、日本でも常世神とナミア...

 

ユズとタチバナ

ウンシュウミカンの誕生に関与したクネンボの記事に引き続き、主要なカンキツの一つである柚子(ユズ)について触れる。はじめにユズの歴史について調べてみると、/*******************************************/中華人民共和国中央および西域、揚子江上流の原産であると言われる。中国から日本へは平安時代初期には伝わったとみられ、各地に広まって栽培されている。日本の歴史書に飛鳥時代・奈良時代に栽培していたという記載がある。/**...

 

ナツミカンとハウスミカン

ウンシュウミカンの誕生に関与したクネンボまでの記事までで、ミカンを含むカンキツの歴史に触れてきた中で日に日に存在感が増してきたカンキツがある。それは、ハウスミカンだ。露地栽培のミカンの収穫が冬に向けてのところ、冬期に加温したハウスミカンは初春から夏にかけて収穫する。今までは上記の内容を見ても、旬をずらして出荷するのね程度に思っていたが、萩の武士とナツミカンの記事の内容を経て、夏に春夏にカンキツを収穫出来る事が愛おしくなった。まだハウスミカンがなかった明...

 

ウンシュウミカンの誕生に関与したクネンボ

ダイダイの親はレモンの記事に引き続き、今回もカンキツを記載する。蜜柑とは何か?の記事でウンシュウミカンの親としてクネンボ(九年母)というカンキツがあることを記載したが、今回は改めてクネンボについて触れてみる。クネンボは以前はメジャーなカンキツであったらしいが、ミカンを調べるようになってから始めて聞いたのは、1980年代に移出が禁止された事に因る事かららしい。現在のカンキツの事情から考えるとクネンボは重要であることは間違いないので、触れておくことにする。...

 

ダイダイの親はレモン

ダイダイとナツダイダイは関係あるのか?の記事に引き続き、カンキツの祖先を探る。少数の祖先品種から交雑を繰り返すことで多様なカンキツ品種が発生した | 農研機構の図を俯瞰していたら、ダイダイの親がレモンになっていた。もう片方の親が不明になっていたので、そちらの親がきっと果皮がオレンジ色だったのだろう。ダイダイとレモンが近い関係にいたことが驚きだった。日本におけるレモンの歴史を調べてみると、レモンは歴史が浅く、明治時代初期に静岡県で栽培され...

 

ダイダイとナツダイダイは関係あるのか?

萩の武士とナツミカンや甘夏ことカワノナツダイダイの話題で、ナツミカンの名称がナツダイダイであることについてを触れた。ここで気になるのが、正月の飾り等で用いられているダイダイ(橙、ダイダイ)のことだろう。名前が似ているけれども、何か関係あるの?とか。冒頭のリンク先の記事で、ナツダイダイは海岸に漂着したタネを育てた事で得られたカンキツと記載されているので、ナツダイダイはダイダイから人為的に品種改良して得られた品種ではないという事はわかる。ここで役に立つのが柑橘...

 

タチバナの子孫のオウゴンカン

タチバナの子孫のヒュウガナツの記事に引き続き、カンキツの品種について触れる。黒潮の彼方にあると考えられた死と再生の異郷「常世」の記事の内容と合わさると、カンキツの歴史を調べていくと、そこにはジャンルを越えた壮大な内容があって興味深いことが次へと出てくる。カンキツ以外の果実でも同様のドラマがあるのでは?と思うと、知らない事が多いと痛感できて、世界の広さを感じるものだ。とりあえず、今回はタチバナの子孫であると考えられている黄金柑(オウゴンカン)について触れてみる。...

 

黒潮の彼方にあると考えられた死と再生の異郷「常世」

和歌山の元伊勢の濱宮等の記事で話題に挙げている扶桑社から出版されている熊野から読み解く記紀神話〜日本書紀一三〇〇年紀〜を読み進めていたら興味深い内容が記載されていた。上記の本の166ページに/*******************************************/太平洋に面して暮らす人びとは、黒潮の彼方に死と再生の異郷「常世」があると信じていた/*******************************************/と記載されていた。...

 

タチバナの子孫のヒュウガナツ

甘夏ことカワノナツダイダイまでの記事で、ナツミカンについて触れてきた。ナツミカンが気になっていた理由の一つに、日向夏(ヒュウガナツ)という名前に夏が付いたカンキツがあって、これはナツミカンであるのか?が気になっていたことがある。次になぜ特定のカンキツが気になっているのか?というと、ヒュウガナツは田道間守が常世国から持ち帰ったタチバナの子孫に当たるという記述を見かけた事で、ヒュウガナツの事は押さえておきたいと思った。橘の起源は沖縄 シークヮーサーと共...

 

甘夏ことカワノナツダイダイ

萩の武士とナツミカンの記事まででナツミカンことナツダイダイについて触れた。ナツミカンと関連するカンキツとして甘夏があるので、今回は甘夏について触れていく。甘夏はナツミカンことナツダイダイの枝変わり種で、ナツミカンと比較して減酸が早く酸味が少なく甘みが多いナツミカンを指す。枝変わり。原基の万能性昭和初期に大分県津久見市の上青江の果樹園の川野豊によって育種された品種であるため、カワノナツダイダイと呼ばれる。カワノナツダイダイ - Wikipedia大分とい...

 

萩の武士とナツミカン

ナツミカンとは何か?の記事でナツミカンについて触れた。せっかくの機会なので、もう少し触れておくことにしよう。最初にWikipediaからナツミカンの栽培の歴史のうちの日本伝来について見ておくと、/********************************************************/江戸時代中期、黒潮に乗って南方から、山口県長門市仙崎大日比(青海島)に漂着した文旦系の柑橘の種を地元に住む西本於長が播き育てたのが起源とされる/***********...

 

ナツミカンとは何か?

ナツミカンが話題に挙がった。名前に夏(ナツ)が付いているけれども、キシュウミカンやウンシュウミカンと何か関連があるのかな?と気になったので調べてみた。蜜柑とは何か?はじめにWikipediaに記載されている内容から触れてみる。ナツミカンは(夏代々)ナツダイダイの別名であるらしい。関西地方で、代々という名称があるのがよろしくないらしく、大阪商人が夏蜜柑(ナツミカン)に改名するように勧めたで、キシュウミカンやウンシュウミカンとは直接的な関係はなさそうだ。少数の...

 

奈良県の吉野にある宮滝遺跡

古墳時代の人々はどのようにして適地を見つけたのか?の記事の続きで、古墳時代の人々の適地探しの話の続き。大鹿村の中央構造線安康露頭古墳時代前後の重要な場所というのが、中央構造線の南側の三波川変成帯にあった。和歌山の下津の六本樹の丘や三重の伊勢神宮等。和歌山と三重の間には奈良があって、奈良と中央構造線でも何かあるか?と検索をしてみたところ、Saigen Jiro - 投稿者自身による著作物, CC0, リンクによる奈良県の吉野に宮滝遺跡とい...

 

古墳時代の人々はどのようにして適地を見つけたのか?

和歌山の元伊勢の濱宮の記事の続き。※上の写真は田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?の記事から古墳時代の人々が神聖な場所であったり、果樹の適地を探す際、何を目印にしているのだろう?ということが気になっている。舗装された道路もなければ、地質図もないのに、なぜこうも緑色石帯を選ぶのだろう?※元伊勢の場合は緑色石帯でない場所が多いが、結果的に緑色石帯の場所を選んでいる。想像力をフルにかきたて、田道間守が辿った道を想像してみることにする。まず...

 

和歌山の元伊勢の濱宮

五十鈴川と瀧祭神の記事に引き続き、再び扶桑社から出版されている熊野から読み解く記紀神話〜日本書紀一三〇〇年紀〜からの話を続ける。伊勢神宮の建設にあたり、垂仁天皇の娘のヤマトヒメが日本各地を巡幸して候補地を探したという話があり、伊勢神宮よりも前の地名には元伊勢という名称が付いたという内容が記載されていた。※伊勢神宮関連の巡幸の伝承はヤマトヒメの前の代のトヨスキイリヒメから始まっている。豊鍬入姫命 - Wikipedia元伊勢についてを調べていったら、日本の文化についてもっと深く...

 

五十鈴川と瀧祭神

ヤマトヒメは五十鈴川を見て何を感じたか?の記事に引き続き、五十鈴川(いすずがわ)について調べる。五十鈴川は現在でも清流であると考えられており、伊勢神宮参拝の前に五十鈴川で身も心も清めてから参拝するそうだ。宇治橋・五十鈴川|皇大神宮(内宮)|神宮について|伊勢神宮神聖であれば、必ず関連した社があるはずだと検索をしてみたら、川の神を祀る社として瀧祭神(たきまつりのかみ)の記載があった。瀧祭神に関する説明で/*********************************...

 

ヤマトヒメは五十鈴川を見て何を感じたか?

田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?の記事で、古墳時代の熊野について興味がでたので、扶桑社から出版されている熊野から読み解く記紀神話〜日本書紀一三〇〇年紀〜を読み始めてみた。気になるんだったら、原文読めよと突っ込みたくなるだろうし、実際自分でもそう思っているが、漢文で記載されている原文はハードルが高すぎるので、上記のような解釈本はご愛嬌というところで。熊野から読み解く記紀神話|書籍詳細|扶桑社記紀神話で重要になってくるのが、木国と根堅州国の関係...

 

醤油発祥の地の湯浅町

橘本神社とヤマトタチバナで橘本神社を訪れた時、宮司さんとの話題で熊野古道で橘本神社より南方に醤油発祥の地があるということがあった。醤油発祥の地は橘本神社のある下津から南に向かって、有田を越えたところの湯浅町というところらしい。「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅|日本遺産ポータルサイトに拠ると、醤油の製造の前に、鎌倉時代に修行僧が中国から持ち帰った味噌の話題があり、味噌製造中に滲み出た汁を改良して作ったのが醤油だという記載がある。金山寺味噌 - Wikipe...

 

お茶の品質日本一を輩出するところは緑泥石帯

今回は八女本格和紅茶を頂きましたの記事の続き。福岡の八女で穫れるお茶といえば、品質日本一を輩出することで有名だけれども、現地で八女茶の美味しさの秘密を聞くと真先に土質が良いという返答があるらしい。最近は土質よりも地質を調べた方が精度が高いので地質を調べてみたら、緑泥石帯であった。福岡県八女市 - 20万分の1シームレス地質図V2愛媛のミカンが盛んなところは緑泥石帯の記事で触れた愛媛のミカンに引き続き、茶葉でも緑泥石が関連していたか。栽培は母岩が超重要であるとい...

 

八女本格和紅茶を頂きました

ファームプロさんから八女本格和紅茶を頂きました。八女本格和紅茶についての詳細は八女本格和紅茶とは – 株式会社ファームプロをご覧ください。従来の紅茶の製法と比較して、八女本格和紅茶は渋みが少なくなり、舌触りが良く飲みやすいそうです。苦味や渋みのタンニン渋みは食事で他の食材の味覚にも影響を与える要素であるため、食中の紅茶として適しているように感じた。

 

常世神とナミアゲハ

田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?の記事までで、ヤマトタチバナと熊野古道のことを調べていたら、常世神(とこよのかみ)という記述が目についた。常世神について、Wikipediaに記載があったので抜粋してみると、/***********************************************/この神を祀ると、富と長寿が授けられ、貧者は裕福になり、老人は若返ると説かれた。/**************************************...

 

田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?

六本樹の丘から田道間守の冒険を想像するの記事で、田道間守が常世国(とこよのくに)から持ち帰ったタチバナの木を始めて植えたと言われている六本樹の丘に行ってきた内容を記載した。田道間守は広い本州の中で、和歌山県の下津に常世国と似たような景色があることを知っていた、もしくは発見したことを不思議に思っていたが、六本樹の丘が熊野古道にあった事でその謎が解消した。と思ったが、次に生じた疑問として、田道間守が行きていた時代に、現在の熊野古道の場所が利用されていたのか?というものがある。この内容...

 

六本樹の丘から田道間守の冒険を想像する

今回は橘本神社とヤマトタチバナの続きで、田道間守とタチバナについての内容になる。上記URLの記事で、再び下津ミカンの地を訪れた事を記載した。前に下津を訪れた時は大雨だったので、行くことが出来なかった場所が多かった。今回はリベンジとして前回行けなかった場所を周っているわけだけれども、そのうちの一つで最も行きたかった場所として、六本樹の丘があり、やっと行くことが出来た。この場所はお菓子の神様こと田道間守(たじまもり)が常世の国(とこよのくに)から非時香菓(...

 

いろんな色の結晶片岩2

橘本神社とヤマトタチバナの記事の続き。神社の向かい側に堆積した場所に降りれる川があった。俯瞰する限りでは、大半の大きめの石が青のような緑のような石なので、緑色片岩であることは間違いないだろう。こういう景色は大歩危の三名含礫片岩で触れた大歩危の川でも見た。早速降りてみて、石をまじまじと見てみたら、様々な色の石が落ちていた。いろんな色の結晶片岩上のような薄茶色の結晶片岩を見かけたけれども、これは何の石が変成作用を受けたのか?を考えるのが楽しい。...


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