前回のブナを探しに大阪北部の妙見山への記事で、ブナの堅果を見に大阪北部の妙見山へ行った内容を記載した。

ブナ林に到着して、真っ先に気になるのが、ブナ林は何故ここにしかないのか?だろうか。



ブナの環境は夏緑林であるため、大阪では標高が600m以上の山でなければならない。

それであれば、私が住んでいる高槻にもポンポン山という条件を満たす山はあるが、そこにはブナ林はないらしい。

枕状溶岩の空隙にはゼオライトが充填されている


この理由として、妙高山が標高600m付近でブナが生息できる環境の南限であるという話があり、地図で確認するとポンポン山は照葉樹林として扱われていた。


妙高山よりも北で標高600m以上の山でブナ林がないのは、人為的な伐採に因るものらしい。

※上記の内容は妙高山にあった看板に記載されていた




これらの内容を踏まえた上で、堅果の散布について見る事にしよう。

素人の戯言のようなものなので、話半分に読み進めて欲しい。




殻斗や堅果の形状を見るに、堅果が熟すまで殻斗に守られている形状になっていて、落下によって堅果が地面に落ちる。

この形状であれば、ブナは重力散布かネズミ等による動物散布になるはず。


鳥が運んだとして、鳥は他の周辺の山にブナの堅果を運ぶだろうか?

となると、妙高山を含め、標高の高い山の標高の高い方にしか生息できないブナは、何故ここにいるのだろう?という疑問が生じる。


この疑問を解消するために寒冷期の考え方があるらしい。

約1万年程前の寒冷期では、今よりも低い標高の位置にブナ林が形成されていたらしく、大阪北部一体にブナ林が形成されていたらしい。

寒冷期を抜け温暖期に入るに従って、標高の低い位置のブナ林は他の木に侵入され、ブナは標高の高い位置に生息域を変えていった。

はやくに落葉するブナよりも優先する種は照葉樹林にはたくさんいる。


重力散布や動物散布であっても、数千年のスパンがあれば、群としての生育域の変化は起こり得るはず。


こうして、比較的に標高の高い場所にブナ林が形成されたということになる。


ブナ科の比較で少しだけ森林について考えられるようになった気がする。