前回の話で小滝川でヒスイ輝石が発見されたのが昭和初期で発見前は近隣住民は普段使っているまな板が宝石だと思わずに使い勝手の良い石として活用していた。
発見前までは日本にヒスイ輝石があるかないかという議論がされていた程、そして発見後は
ヒスイ輝石がこのような扱いになる程、ヒスイ輝石というものは珍しいものである。
この発見された糸魚川-静岡構造線自体が珍しい土地。
ヒスイ輝石の発見と合わせると更にフォッサマグナの理解が深まるだろうと、ヒスイ輝石に関する科学の読み物を読んでみることにした。
よくわかる糸魚川の大地のなりたち78ページからはじまるヒスイの科学の節を読んでみると、ヒスイ輝石誕生の場所と地上への上昇の模式図が記載されていた。
模式図を載せる前にヒスイ輝石が生成される場所は低温高圧の場所、つまりはプレートの沈み込みの比較的浅いところになる。
それを踏まえた上で、
ヒスイ輝石は大陸側のプレートと海洋のプレートがぶつかり、更に付加体(海に堆積した砂や粘土)の一番下の箇所にヒスイ輝石の原料である曹長石があるとできるとのこと。
※何故日本のど真ん中で大陸のプレートと海洋のプレートがぶつかっているか?を疑問に感じた方は過去記事を辿って下さい。
付加体の一番下ということは、海洋のプレートがぶつかり、付加体が隆起するだけではずっと下に居続けたままになるので、
蛇紋岩に捕獲され、蛇紋岩と共に付加体の上部に上昇されていなければならない。
実際にヒスイ輝石は蛇紋岩の中、もしくは周辺で発見されることが多いとのこと。
ここからわかることは、ヒスイ輝石は糸魚川-静岡構造線の付近ではなく、構造線から西に向かってはじまる付加体のエリアで発見される可能性があることがわかった。
となると、京都舞鶴で蛇紋岩で有名な大江山があるけれども、この大江山ではヒスイがでるよといった話を聞かないな。
最後に念のためにヒスイ輝石が発見された小滝川周辺の地質を確認しておくと、
発見地の明星山麓を流れる川の上流は蛇紋岩の地域だった。