山辺の道のヤマトタチバナとミカンまでの記事で田道間守がミカンの親の種である橘を広めた内容を記載した。

ミカンといえば、風邪の予防にミカンというけれどの記事等で記載しているが、日本の果実の代表的存在で美味で、しかも日本人の健康に大きく貢献しているであろうものなので、田道間守の行動は子孫たちに対して大きな影響を与えている。


そんな田道間守だけれども、それはもう大きな功績であることは間違いないので、きっとお墓も立派なのだろうと調べてみたら、意外な内容だった。



上の地図は後の平城京となる場所の南西に位置する垂仁天皇の墓である宝来山古墳だけれども、この古墳の南東をよく見ると、



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田道間守命御塚がある。

田道間守と言えば、垂仁天皇の命を受け、遥か海の彼方にある常世の国に非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を探しに行った。


そんな偉業を成した田道間守が時の大王である天皇の横に墓を設けて頂いているのを知り、嬉しく思った。


今年の冬のミカンの時期が到来したら、田道間守の事を思い出しながら食するのだろうなと今からミカンの旬が楽しみだ。