ススキの名所の曽爾高原の記事で、
曽爾高原のススキは毎年の初春に行われる山焼きによって、草原から森になることを阻止して草原の景観を維持していると記載した。
栽培者の間で言われる良い土の表現に森の土というものがあるけれども、
森になれない草原の土とはどのようなものなのか?
とその前に、
曽爾高原の地形について見てみることにする。
はじめに知見を辿れる重要な特徴物として
写真の左側にある倶留尊山(くろそやま)がある。
倶留尊山は約1500万年前(第三紀)の火山活動によって出来た室生火山群の一つの山である。
ちなみに室生(むろう)という地域は上の地図で宇陀市の東側に少し行ったところにある。
約1500万年前といえば、日本列島が大陸から分離し終わった頃に当たるだろうか。
室生火山群には、他に鎧岩、兜岩と屏風岩といった独特の形をまとめた曽爾三山がある。
曽爾三山は倶留尊山と曽爾川を挟んで対岸に位置している。
一旦、倶留尊山のことは置いといて、
曽爾三山の一つである屏風岩を見てみることにする。
屏風岩は国指定天然記念物として扱われている。
標高868mで高さ約200m、長さ約1500mにわたる柱状節理の巨大な岩壁が連なっている。
※柱状節理は溶岩が冷えて固まる時に形成される
この岩は室生火山岩主部の流紋岩質溶結凝灰岩で、火山活動が何回か繰り返されて形成されたと考えられている。
再び倶留尊山に戻って、倶留尊山にも柱状節理があるらしい。
倶留尊山は室生火山群の最高峰の山であるため粘性は屏風岩と同じ流紋岩質と見て良いだろう。
となると、
曽爾高原のススキの下にある土は流紋岩質の岩石が何らかの影響を与えている土である可能性が高いことになる。
という情報を踏まえた上でススキの下の土に目を向けてみたいところだが、それは次の記事で書くことにしよう。
それより前にもう一つだけ、
約1億2000万年〜9000万年前の花崗岩になっている。
曽爾村は花崗岩や片麻岩を基盤岩として、室生火山群の溶岩(火山灰)が堆積した。
川による作用で浸食され、深い谷が形成された。
曽爾高原の独特な地形はどのように形成されたかよくわかっていないらしい。
※池の場所は火山の火口ではなさそうだ。
-続く-