古墳時代の人々はどのようにして適地を見つけたのか?の記事の続きで、古墳時代の人々の適地探しの話の続き。
古墳時代前後の重要な場所というのが、中央構造線の南側の三波川変成帯にあった。
和歌山の下津の六本樹の丘や三重の伊勢神宮等。
和歌山と三重の間には奈良があって、奈良と中央構造線でも何かあるか?と検索をしてみたところ、
Saigen Jiro - 投稿者自身による著作物, CC0, リンクによる
奈良県の吉野に宮滝遺跡という重要な場所があることがわかった。
この場所は縄文時代〜弥生時代の遺物が出土される他、飛鳥時代の天皇、斉明天皇が吉野にお造りになられた離宮があり、後の天皇にも関与している場所であるそうだ。
宮滝遺跡の場所を地質図で調べてみると、狭い緑泥石帯に津風呂湖があって、その下流の吉野川沿いに位置している。
地質図では段丘堆積物になっているが、遺跡周辺の川には青い石(緑泥片岩)がたくさんあるそうだ。
地球のエネルギーが生んだ聖なるライン ~「中央構造線」がもたらす不思議な力~ | The KANSAI Guide - The Origin of Japan, KANSAI
この場所は緑泥石帯の上に周辺の山からの土砂が堆積した場所になるのだろうか?
川のように土地を削りながら流れる場所には、堆積した土地の下の地層が現れるのだろう。
緑泥片岩を調べていくと、古墳時代の皇族にまつわる話がたくさんあるのだなと実感する。