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和歌山の元伊勢の濱宮の記事の続き。

※上の写真は田道間守がいた時代に熊野古道の紀伊路は利用されていたか?の記事から


古墳時代の人々が神聖な場所であったり、果樹の適地を探す際、何を目印にしているのだろう?ということが気になっている。

舗装された道路もなければ、地質図もないのに、なぜこうも緑色石帯を選ぶのだろう?

※元伊勢の場合は緑色石帯でない場所が多いが、結果的に緑色石帯の場所を選んでいる。


想像力をフルにかきたて、田道間守が辿った道を想像してみることにする。




まずは道だけれども、ブラタモリなどで断層により山の間に谷が出来るという話題をよく聞く。

他に川が削ったところの川岸も道として活用しているはず。

後は海岸線だろうか?


もし、結晶片岩を目印として、適地を探している場合、山を見てもどのような地質であるかを判断するのは難しい。

もしかしたら、結晶片岩特有の植生があるかもしれないけれども、ここらへんは調べていないから今は触れないでおく。


となると、残りは川や海岸になるわけで、


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川の石を見ながら歩いていたのかな?と想像してしまう。

※写真は吉野川で緑泥片岩探しの記事から


川の石は地域の特徴を表す鏡のようなものだから、川に着目すれば得られる事は多いはず。