知人から和歌山の下津という地域に一緒に行きませんか?と誘われたので事前に調べてみることにした。
下津という地名から真っ先に頭に浮かんだのは、古代の港から土質を考えるの記事で記載した地名に津があることで、古代史においてこの地域では何かあるかも?ということだ。
はじめに地図で下津についてを確認してみると、
船が入りやすそうな箇所がある。
港の付近には灯台のようなランドマークとして古墳があることが多いらしいので、下津の南北に古墳があるか調べてみたら、
下津から少し離れているが、女良(めら)古墳というものがあった。
地形を見たら、古代史では海抜が高かった為、もしかしたら、女良古墳は海に近かったのかもしれない。
続いて、周辺の神社を調べてみる。
検索をしてみたら、橘本神社という神社が引っかかった。
橘の大木があるらしく、橘は後のミカンであるため、ミカン発祥の地として関係しているところであるらしい。
今でこそ、ミカンは冬の風物詩になっているが、古代史においてミカンの原種こと橘は重要な果実であったそうだ。
千田稔 古典にみる「橘」について-神々の原郷を知る- - ビタミン89巻 4号(4月) 2015によると橘は常世の国(海の遥か向こうにある何処か)に生えている非時香菓(ときじくのかくのみ、ときじくのかくのこのみ)を指すらしく、仙人の住む土地に育つと伝承されているそうだ。
風邪の時はミカンを食べると良いという話も密接に関わっていそうだ。
常世の国から苦労して持ち帰ったであろう橘の苗木(タネ?)は当然だけれども、確実に育つであろう土地(もしくは信仰上仙人が住むであろう場所)に植えたいのが心情であるわけで、そのうちの一つである橘本神社の地質を調べてみると、
見事に中央構造線上の緑泥石帯であったよ。
超が付く程大事な果実を確実に育てたい時に緑泥石に頼りたい気持ちは本当にわかる。
後は気候条件等だけれども、橘本町は地質(土質)以外にも条件が良かったのだろうな。
ちなみに常世の国から橘を持ち帰った田道間守(たじまもり)は菓子の神・菓祖として信仰されているそうだ。
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