秋の七草から里山が大事かを実感するの記事作成時に気になったことがある。
秋の七草にはカワラナデシコという草があり、これは名前の通り川原に生える。
上の写真は無料の素材サイトから拝借しているのだけれども、同様のナデシコの群衆というものを見つけようと何度も川原を見たけれども、なんとか頑張って一株見つける程しか咲いていない。
秋の七草に分類されているため、昔はカワラナデシコの群衆というものがあったはずで、今は何故無いのだろう?と疑問が生じる。
一昔前の秋の花といえば?の記事で触れたフジバカマのように外来種に生息域を奪われたのか?
上記の疑問に対して、Wikipediaでは興味深い記載があった。
/**********************************************************************/
昔は、草原や山地、河原等の環境は人の手により草刈や枝打ち等され、里山的な利用が行われてきた。これで、日当たりの良い開けた環境が継続してきたという背景がある。近年の人間の生活習慣の変化で、このような「人為的なかく乱」が行われなくなると、カワラナデシコに代表される人間と密接な関係のある普通種が、その自生地や個体数を減少させてしまう結果となりうる。
/**********************************************************************/
昔の栽培では、里山の縁や川原の草を刈り取って、腐熟させ堆肥としていたと聞いたことがあるし、師も刈草を堆肥にしていた。
川原の草を刈り取らないと、イネ科の草が繁茂して、カワラナデシコの個体数が減る。
突然の余談だけれども、以前、カワラナデシコを探せという記事で似たような内容を記載したけれども、この記事が6年前で、その後も毎日何らかの記事を投稿して、知識が蓄積して、見え方が変わっている事を認識できたのは面白い。
知識のアウトプットはインプットよりも難しいというが、得られるものが非常に多いと言われていて、それを実感できた。