五斗長垣内遺跡と鉄器の記事で弥生時代後期に鉄器の製造を行っていた遺跡について触れた。
鉄器の製造に長けた集落が当時の大王の王権を支えていた可能性があると。
弥生時代後期の鉄器は後の戦争(倭国大乱)に繋がっていくらしいが、もともとは利器として扱われていたもので稲作の生産性の向上に大きく関わっていたそうだ。
※利器は生活に役立つ道具 対義語として祭器(青銅器)がある
※藤尾慎一郎 弥生鉄史観の見直し - 国立歴史民俗博物館研究報告 第 185 集 2014年2月
弥生時代はイネと鉄と表されるぐらい、稲作と鉄器の製造が大事だったらしいので、
改めて、弥生時代の稲作について触れていくことにする。
弥生時代の頃の遺跡からこの時代には既に水稲としての栽培が開始されていたとされる。
水稲栽培を行うには水路等の潅漑設備の整備が必須で多くの人手を要した為、集団が大きくなった。
集団が大きくなったということは統率を取る為に族長的な存在が必須で、水稲栽培の知識に長けた人が族長となった。
水稲に関わっていると必ずといって良い程発生するのが、水利権に関する争いで、令和の時代になっても水の使用で揉めている人たちを時々見かけるわけで、法整備が今程されていない弥生時代では、水争いはそれはもう壮大なものだったと想像出来る。
イネの豊作へと導き、水争いで勝てる族長の存在価値とは絶大なものだと想像出来るので、彼らはいずれ権力を持ったのだろうなと。
水争いで優位になるには鉄器のような加工しやすく殺傷能力の高い武器が必須なわけで、鉄器の製造に長けた人は重宝するだろう。
話は少しずれるが、
ヤンバルで緑色片岩と出会うの記事で川の上流の地質が緑色片岩が大量にある集落で稲作が良く出来、常に豊作であったため食うに困らずで来る人拒まずという話を聞いた事を紹介した。
水資源豊富で豊作になりやすい地域では人が集まる傾向にあり、大きな集団になる可能性を秘めているので、その視点で見ていけば稲作について興味深い内容に出会えるかもしれない。
追記
米は貯蔵性が高いので、備蓄により食べ物の少ない冬でも飢える不安が軽減される。
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