日下の蓼津から河内湾の東側の端を知るまでの記事で地名に津があるところは古代史において港だったかもしれないという事らしい。
この話題を読んだ時、
近所の摂津峡がまっさきに頭に浮かんだ。
調べてみると、つい最近まで大阪の北中部から兵庫県南東部までを摂津国(せっつのくに)と呼んでいたそうだ。
古墳時代といえば大阪平野は河内湾と呼ばれ海であったたけで、次に気になるのは古墳時代における京都から流れる大きな川の河口は何処になるか?
古代大阪の変遷|水都大阪のページに古代大阪の変遷が説明されているので参考にすると、
ピンで示した箇所あたりになるのかな?
ただ、古代史の航海において、古墳をランドマークにしたという記載を見かけたので、
海から大王の墓である今城塚古墳が見える場所ぐらいまでは海があったのでは?と思ったりする。