古事記の神武天皇に関する記載に白肩津(シラカタノツ)という記載がある。

後の神武天皇が東へと旅立ち、畿内で上陸した古代の港であるらしい。


白肩津は楯津(タテツ)や日下の蓼津(クサカノタテツ)とも呼ばれていたそうだ。

楯津で検索をしてみたら、楯津(蓼津) – 國學院大學 古典文化学事業のページにたどり着き、




奈良と大阪の県境にある生駒山の西側にピンが立っていた。

このピンの箇所は国生み最後の地の大倭豊秋津島の記事で触れた現在の大阪の平野部は以前は河内湾と呼ばれる海の海岸部であったことがわかり、ここからピンの西側の現在は干拓事業や土砂の堆積によって形成された土地であることがわかる。


地名からわかる事が多い事に関心する。


余談だけれども、Google Mapsで楯津を検索してみたら、



漢字は異なるが、日下町に神武天皇に関する碑があった。

ここから南に行くと二上山があって、二上山の山頂の古墳には大皇子が埋葬されているかもしれないというのが更に興味深い。

悲劇の皇子を悼む、二上山の頂へ(万葉ルート07)|記紀・万葉でたどる奈良


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