先日、ミカンを栽培している方と話をしていたら、伊予柑(イヨカン)は愛媛で誕生したカンキツではないという話題になった。
伊予というのは、伊予国(いよのくに)を指し、現在の愛媛県を指す。
そんな伊予という文字を当てたイヨカンが愛媛で誕生していないということはどういうことなのか?
イヨカンの歴史を確認しておくことにした。
Wikipediaのイヨカンの歴史を読んでみると、
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1885年に山口県阿武郡東分村(現:萩市)の蚕業指導員・中村正路が発見した。当初は紅みかん、穴門みかん(あなとみかん)などと呼ばれていた。中村所有の苗木を、1888年に愛媛県温泉郡持田村(現:松山市)の養蚕家・果樹園芸家であった三好保徳が購入し、愛媛県でも栽培を開始した。
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※イヨカン#歴史 - Wikipediaより引用
と記載されていた。
イヨカンは現在の山口県の萩市で発見されたのか。
萩といえば、萩の武士とナツミカンの記事で触れたけれども、ナツミカンも萩だったな。
ナツミカンは明治時代からのカンキツなので、イヨカンの本格的な栽培の方が先か。
イヨカンは最初は伊予ミカンと呼ばれていたそうだが、ウンシュウミカンと混同される恐れがあったため、イヨカンと呼ぶことにしたらしい。
イヨカンの誕生に関して不思議なことがあるのだけれども、それはそのうち触れるかもしれない。
追記
今回の記事では記事名にあるイヨカンの誕生地については不明のままとなる。
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