秋の七草に話を戻す。
今年の記事で触れてきた秋の七草は、ハギ、フジバカマ、オミナエシ、カワラナデシコとクズで、残りはススキとキキョウがある。
ススキといえば、理科の教科書で草原から林に遷移する際の草原と林のちょうど間にあって、ススキの次から成長の早い陽樹が生え始める。
ススキの景観で有名な奈良県の曽爾高原は、定期的に火入れを行い、ススキの草原から林にならないように維持している。
もし火入れを行わない場合にススキの次に生える木は何か?を考えてみると、先駆植物かつ肥料木のヤシャブシや大きなドングリのアベマキ等が思い付くけれども、肥料木として、
マメ科のハギが頭に浮かんだ。
今でこそ、ススキがセイタカアワダチソウと競合していることが有名だけれども、セイタカアワダチソウが日本に訪れる前はススキとハギが競合していたのかもしれない。
話はススキの草原の維持の為の火入れに戻るけれども、ススキを秋の七草として扱う為に、各地でススキの草原に火入れを行っていたということは考えにくい。
ここで頭に浮かんだのが、
ススキで堆肥の記事で記載した内容で、奈良県で農業を営んでいた方から教えてもらった化学合成肥料や農薬が入ってくる前に行っていた栽培で、秋の背丈が高くなった時期に刈り取って、畑の通路に強いて翌年の堆肥にしていたという話がある。
ススキといえば十五夜で、十五夜後にイネの収穫を行い、一段落ついたらススキを刈り取るといった流れがあったのでは?と思っていたりする。
定期的に刈り取るといった人為的撹乱がススキを秋の七草の一つとしている所以であるはずだ。