我が家では村上海賊の話題が頻繁に挙がる。
村上海賊というのは、日本中世の瀬戸内海で活躍していた海賊衆の事で瀬戸内の海路を取り締まっていた。
何故、村上海賊の話題が頻繁に挙がるかというと、ドラえもん ふしぎのヒストリー 3 海賊大暴れ!戦国・安土桃山時代という漫画を購入したからだ。
子供ら(最年長が小2)にとってドラえもんの漫画が読めるなら、内容は何でも良いらしい。
小学生の低学年から織田信長とか豊臣秀吉という名前が挙がるようになったわけで、ドラえもんの持つ可能性の大きさに驚くばかりだ。
上記の漫画の中でドラえもんが村上海賊に
どら焼きを献上して、それを食した海賊たちがとんでもなく美味そうにしているシーンがある。
これを見て、どら焼きは美味しいけれども、それ程のものか?と思ったらしい。
この疑問に対して、ドラえもんが持っていたどら焼き(昭和以降)には砂糖やおそらく膨らましの為の重曹があったりと別格な旨さになるはずだと返答したけれども、村上海賊がいた頃に瀬戸内を行き交う船で砂糖が載せられていたということはあったのだろうか?
そもそも、その頃に砂糖があったのだろうか?という疑問が生じ、砂糖の事を何も知らないという事に気が付いた。
砂糖の製造にはショ糖を蓄えるサトウキビやサトウダイコン(ビート)の栽培からこれらの作物から砂糖を抽出する技術が必要なわけで、これらの技術がいつ頃からあったのか?という事が気になった。
学部生の頃の工芸作物学で砂糖について少しだけ触れたけれども、期末試験の範囲ではなかったので真剣に読み込んでいなかったなと。
砂糖のことを知りたければ、砂糖を取り扱う会社のサイトを見れば良いとのことで、こうして砂糖は広まった~世界一周、砂糖の旅~ | お砂糖の「じつは…」 | 【スプーン印】のDM三井製糖株式会社のページを読んでみた。
日本にはじめて砂糖がやってきたのは、奈良時代(8世紀)であるそうだ。
15世紀頃に貴族や武士の間で砂糖が使われるようになり、江戸時代に国内産糖が推奨され、明治時代で一般庶民も砂糖を楽しめるようになったそうだ。
村上海賊は豊臣秀吉が天下統一する頃まで活躍していたらしいので、豊臣秀吉が16世紀を生きた人であるので、その頃は武士たちが砂糖を食していたとすると、村上海賊も砂糖菓子を食していた可能性はある。
ただ、流石にドラえもんの食べている甘井屋のどら焼きのクオリティではないだろう。
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