今回の話を始める前に小話を2つ。
事業を行う上でよくある話で、問題は小さいうちに潰しておけというものがある。
経営を行うにあたって、時々発生する問題は組織が小さいうちに解決しておかないと、解決しないで事業を進め事業が大きくなるに従ってその問題を解決するために多くの人や経費を投入しなければならなくなる。
事務の効率化や自転車操業からの脱却としてこの話題はよく挙がる。
次に師の元で栽培を学んでいた時によくあった話で営農において、東で研修を受けた方が西で就農すると破産しやすく、西で研修を受けた方が東で就農すると急成長する
これは神奈川で育ち、京都奈良に住んだことがある私にはしっくりとくる言葉だった。
22歳の時に神奈川から奈良に移住した時、一番衝撃だったのが、
土の色が白すぎないか?というものだった。
※はじめて見たところはもっと白かった
その後、師と出会い、師の元で栽培を学ぶにあたって、手で土を掘ろうにも固くて掘れないからスコップを使わなければいけないし、造成したてで栽培一年目のほ場では苗がまともに活着しないし、手袋なしで草抜きしようにも、固くて指から血が出てきたりもするし、畑の土ってこんなだっけ?と感じる機会があまりにも多かった。
後で知ったのだけれども、師のところよりも京都市内の土はもっと劣悪だった。
京野菜の伝統を守ってきた人たちは本当にすごいね。
昔話はここまでにしておいて、今回言いたい内容は、
フォッサマグナの糸魚川-静岡構造線を境に西と東では栽培は大きく異なる。
栽培の研究の中心は主に関東圏で行われていると認識しており、栽培技術も関東圏から出たものによってまとめられている。
栽培技術、特にNPKからはじまる肥培管理が土質に恵まれている関東圏でまとめられたとすると、恵まれている条件の元で形成された概念は恵まれていない条件下では通用しない。
一つ例を挙げると
先日訪れた農研機構の試験ほ場で、先日局所的な大雨だったにも関わらず、翌日水たまりが一切見られない。
私が経験、見聞きした関西圏の畑であれば、
よほど良い畑でない限り、数日間はこの写真のように水没する。
土質の問題から高畝にしなければならず、土の硬さからなかなか水が抜けない。
※通路の水は3日ぐらい引かない
花崗岩を母岩とするはじめて栽培される畑であってもこうだった。
NPK以前の問題である。
糸魚川-静岡構造線よりも東の方に、西日本の露地栽培ではトラクタの刃は3ヶ月〜6ヶ月に一回のペースで交換すると伝えると非常に驚かれる。
こちらでは何年も交換せずに使い続けると。
肥培管理を始める前にまずは排水・保水性の改善から。
排水・保水性の悪さによる経費の割合は相当だ。
土壌養分がどんなに乏しかろうが、排水性さえ高ければ、あとは投入する資材でどうにでもなる。
東の方で火山灰土壌で栽培している方で、うちは土の養分に乏しいので栽培に苦労すると意見を述べていたが贅沢な悩みだ。
おそらくだけど、保肥力の観点から西の方は更に土壌に養分はないだろう。
この話をした時、下記のような意見が挙がった。
フォッサマグナは局所的だから、東端の構造線があるであろう箇所よりも東は大陸の土に戻るから、糸魚川-静岡構造前を境に東西を分けることはできないのではないか?と
ここで日本の火山の分布を挙げてみると、
(株式会社誠文堂新光社 / 年代で見る 日本の地質と地形 16ページより引用)
フォッサマグナとは別のプレートによる火山が東日本に縦に連なっているため、フォッサマグナ程ではないけれども火山灰土壌が形成されている。
九州はいろいろと難しいね。
長々と書いたけれども、明治維新の時に政治と経済の中心が東京に移った。
その時に学術の中心も関東圏に移り、様々な研究が進んだ。
もし、農学が関西圏で盛んであったら、NPKを主体とした肥培管理ではなく、排水性、保水性に主眼を置いた肥培管理になっていたに違いない。
たとえ、NPKの概念が海外から入ってきたとしていても排水性、保水性を主眼におけば、窒素もひとくくりにNとして扱われることはなくなり、別の何らかの指標が誕生していただろう。
東で農学を学び、西で栽培を学んだ者として、西を主体とした栽培がまとめられると日本全体で革新が起こるのでは?と感じている。
追記
今回の東西の話は師の元で栽培を学んでいた時から書きたかった内容で、フォッサマグナで確信したので、このタイミングで投稿した。
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