現代社会において欲しいものといえばお金が挙がるだろう。


お金は素晴らしい。


お金を払えば欲しいものは買えるし、

行きたいところにも行くことができる。


お金があればいろんなことを知る機会が増え、

それが新たなチャンスを産む。


だから素晴らしい。


ただ、

お金というのは紙幣であって硬貨である。


誰も紙や金属の塊に価値を見出さなければ、

その紙や金属の塊はただの塊となる。


みんながお金をお金だと思い込むから、

お金は様々なものと交換できる価値を持つことになる。


つまりは信用だね。

なんて流れが


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日本経済新聞社から出版された経済ってそういうことだったのか会議に記載されている。




よくあるお金の教科書には

元々のやりとりは物々交換だったけど、

腐りやすいものだったり重くて持ち運びが大変なものの代わりに

軽くて希少性の高いものを交換券として利用しよう

というのがお金が発生した理由であって、


宝石のようなものであったり、

金の塊が利用されていた。


宝石や金の持ち運びやすいものであっても、

毎回持ち運ぶのが大変だから、

金の引換券として紙幣が誕生した。


でだ、

どうしてもこのくだりを書いた上で書きたかったことがあるんだ。


それは、


PC1032891


これは自然金ね。

金を含む鉱物です。


金を極わずかに含むということで、

この鉱物をまじまじと見てみると、


PC103289


あったよ!

金っぽいところが!


しかしあれだ、

昔の人はこんな小さなものに目を向けて、

それを集めて、

そこに一つの価値を見出したものだ。


だって、

この金は所有と交換にしか価値がないんだよ。


庶民が持てないような希少性の高いものを、

無駄に労力をかけて得ようとする貴族の見栄ってやつか?


そんなのが今の社会の中心にあるのが不思議でしょうがない。


そして、

その不思議な物質を中心とした紙幣社会の中で、

私は今日もお金を稼ぐために働いている。


補足

現在のお金は日本政府が発行する金券に対して、

政府が無理やり信用をつけたものだけどね。