稲作用の用水路が始まる場所の記事で稲作のために川から水を引っ張ってくる箇所を見た。
上の写真ではコンクリートで用水路を作っているが、弥生時代から開始したとされる稲作でも用水路があったとされる。
弥生時代にあったのは、
長野の栄村小滝集落の米づくりで見たような水路だろうか?
治水技術が発達したといわれる現在でさえ、吉野川は三大暴れ川と称されるだけあって、稲作が開始した頃の吉野川付近では、頻繁に発生する洪水が怖くて吉野川付近では稲作は行わないはず。
上記の内容に対して、興味深い話題を見かけたので、今回はその内容を紹介する。
徳島県徳島市で発見された南蔵本遺跡から水田跡や灌漑施設(農地に水を供給する為の設備)が発見されたそうだ。
自然流路に杭を打ち込み、堰板ではめ込み巧みにつくられた堰(せき)があったそうだ。
※邪馬壹(やまと)国は阿波から始まる - やまと研究会 137ページ
南蔵本遺跡がどこにあったか?を調べてみると、
※南蔵本遺跡 - 全国遺跡報告総覧を参考にした
吉野川の分流の田宮川が蛇行した箇所にあった。
※川の流路は頻繁に変わるので、当時の集落はもっと川から近かったかもしれないし、遠かったかもしれない。
南蔵本遺跡は鉄器の製造を行っていた古墳に近くで天然磁石は採掘できるか?で見た眉山のすぐ北側ではないか!
色々と面白くなってきた。