前回の記事でフォッサマグナの北西の箇所にある断層に行ったという内容を記載した。
フォッサマグナを簡単にまとめると
上の地図でいうところの薄い赤の箇所に大きな溝があって、その溝に年代の新しい火山灰が堆積しているというもの。
唐突に大きな溝と記載されても、静岡を通過したことがある人からみたらピンとこないだろう。
というわけで、日本列島の成り立ちから見ていくことにする。
とはいっても地質の専門家というわけではないので、後々主張したいことを記載するために本から引用し続けているんだなという程度で、これからの内容を眺めてやって下さい。
大体3000万年前頃、日本列島はユーラシア大陸の東端にあったという説がある。
この説が出来た証拠として、
山陰地方(特に鳥取)に現在のユーラシア大陸の東端で非常に特徴の似た地形がある。
花崗岩の観測で有名な鳥取の浦富海岸では花崗岩が露頭されていて、花崗岩は深成岩故、日本列島が形成された後にこんな形で浦富海岸で形成されたとは考えにくいらしい。
という話を踏まえた上で、再び3000万年前のユーラシア大陸へ話を戻すと、
NHKスペシャル 列島誕生 ジオ・ジャパン 激動の日本列島 誕生の物語 | 宝島CHANNEL 32ページより引用
3000万年前に大陸の東端で大陸側のプレートと海側のプレートがぶつかり、上の二枚の図のように大陸の一部が分離した。
この分離した島が長い年月をかけて日本列島を形成するのだけれども、この分離した島が更に2つに分かれ、この各々の島が回転しながら再び結合し、日本列島となった。
※各々の島が回転しながら移動するのは想像におまかせします
この大陸から分離した2つの島が結合する箇所が、
ちょうど、フォッサマグナの位置になる。
フォッサマグナというものが大陸から分離した2つの島を繋いでいるという解釈ができるわけだと。
フォッサマグナの形成は次回にしたいのだけれども、その前にちょっとした余談で、
日本最古の石が岐阜県の七宗町から発見されている。
この石は20億年前に形成された花崗岩が
プレートの衝突の際にプレートの深いところに潜り込んで、沈み込んだプレート周辺は沈み込む際の摩擦?のエネルギーのよって熱くなり、この熱に触れて変成したものだと言われている。
なんで日本の真ん中あたりにプレートとか花崗岩という話が出てくるのか?
そもそも20億年前は日本はないとされるのに、何故岐阜なのだろうか?
と思っていたんだけど、
この七宗町はちょうどフォッサマグナの糸魚川-静岡構造線のすぐ西側なんだよね。
七宗町では付加体のチャートでも有名なので、これらの話も後々繋がっていくのだろうなと…
-続く-