今回は橘本神社とヤマトタチバナの続きで、田道間守とタチバナについての内容になる。
上記URLの記事で、再び下津ミカンの地を訪れた事を記載した。
前に下津を訪れた時は大雨だったので、行くことが出来なかった場所が多かった。
今回はリベンジとして前回行けなかった場所を周っているわけだけれども、そのうちの一つで最も行きたかった場所として、
六本樹の丘があり、やっと行くことが出来た。
この場所はお菓子の神様こと田道間守(たじまもり)が常世の国(とこよのくに)から非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰り、最初に植えた場所だとされている。
ここを訪れる前に不思議だと思っていた事として、
この場所は海から5km近く離れた山で、田道間守は山奥に常世の国と似た景色があることがわかったなということがある。
田道間守は色々な場所を闊歩して記録していった冒険家だったのか?
そんな疑問は六本樹の丘に行ってみたら一瞬で払拭された。
この場所は熊野古道の紀伊路(きいじ)内にあり、休息をとりやすい見晴らしの良い場所だった。
常世の国が田道間守が目指した常世の国はヤンバルの事か?の記事で記載した通りの沖縄本当の山原(ヤンバル)であるならば、
景色と土の色が非常に似ている場所であった。
田道間守は地理に精通していた方であったと仮定して、地理に関する知識の深さで垂仁天皇から非時香菓を持ち帰るように命じられたとするならば、田道間守が常世の国についた時、熊野古道の紀伊路と似ていると感じたのだろうと想像出来る。
上記の内容で新たな疑問が生じた。
紀伊路に関する資料を探してみると、この場所の記録が白河天皇の頃の時代になっていて、鎌倉時代の頃になっている。
田道間守が持ち帰った時も六本樹の丘付近が古道として利用されていたか?
もし古道として成立していなければ、今回書いた内容がなくなってしまう。
田道間守の事を深く知るためには、熊野古道に関する理解を深める必要があるなと思った。
余談
今回の記事は当ブログで毎日必ず一記事以上投稿し始めて、4000記事目となる。
4000記事目は古事記関連の偉人の内容にしたかったので、今回の和歌山行きは奇跡的なタイミングだった。