下津のミカンの続き。
常世の国から持ち帰った非時香菓を最初に植えた場所の記事で田道間守が遥か海の向こうにあるとされる常世の国から橘(後のミカン)を持ち帰り、和歌山県海南市にある下津という地域に橘を植えたという話を記載した。
田道間守は橘を植える場所として、仙人の住まう場所に似た所を選んだそうだが、田道間守はどうして下津を常世の国に似ていると判断したのか?という事が気になった。
なんて疑問は、
実際に下津を訪れ、ミカンの山に登った時に少しだけわかった気がした。
下津には山がたくさんあって、道端に落ちている石の形が特徴的過ぎた。
和歌山といえば南に行く程山が多く、古代史では雨が多く森林が生い茂っている様相の様相から木国(きのくに)と命名されたという説がある。
下津の地質である緑泥石帯はプレート境界が関与しているので、常世の国はアジア大陸ではなく、日本の何処か?という事が頭に浮かび、遥か海の彼方 + 緑泥石帯 + 鬱蒼と茂る森というキーワードを元にして考えてみたら、常世の国はもしかして沖縄の山原(ヤンバル)?ということで検索をしてみた。
何故、ヤンバルか?というと、
下津で見かけた緑色片岩と似たような岩をヤンバルでも見かけたことと、
下津の山の上から見た景色からヤンバルの景色と似ているなと思った事から。
そうしたら、ドンピシャで面白い研究結果にたどり着いた。
橘の起源は沖縄 シークヮーサーと共通の親 沖縄科学技術大学院大など調査:東京新聞 TOKYO Webに拠ると、橘は沖縄に自生するタニブターから誕生した種であるらしい。
更に興味深いのがタニブターから誕生した他の種としてシークヮーサーもあるということ。
シークヮーサーは主に大宜味村(おおぎみそん)で栽培をされていて、大宜味村といえば、OKINAWA CACAOの記事で紹介した方と周辺の川を散策した時に緑色片岩をたくさん見つけた事がある。
余談だけれども、OKINAWA CACAOの方が近隣で収穫できたシークヮーサーを加工している。
OKINAWA CACAO | Bean to Bar OKINAWA CHOCOLATE
昔からある産地はその品種が環境に適しているというのが要因であるため、タニブターもおそらくヤンバルかその近隣を適している可能性が高い。
ヤンバルに地質条件と気候条件(日射量や海との距離等)が似ていて且つ大和政権の拠点(巻向)に近い箇所を思い浮かべると、
和歌山の下津がギリギリなのだろうなと。
下津より北や南になると地質条件が異なり、下津よりも西になると大和政権から遠くなる。
※中央構造線付近ではないと地質条件が外れてしまう
※下津が中央構造線の北限
和歌山の森とヤンバルの森の極相種はどちらもスダジイであるはずだから、緯度が全然違っていても深い森になれば環境は似るかもしれない。
今回の記事はあくまで個人的な想像の範囲だけれども、田道間守が道端の石とスダジイを判断して下津に橘の木を植えたのであれば嬉しいな。
シイタケのシイは何だ?の記事でシイの木は人為的に生息域を広げたとあるが、沖縄のオキナワジイから本州に広がっていったという話がある。
常世の国に非時香菓(ときじくのかくのみ)があるという内容を元にして田道間守は遥か海の彼方を目指したけれども、彼らは遥か遠方のヤンバルに貴重な果実を事前に知っていた事になる。
スダジイの話と合わせて、ヤマトの人たちのルーツに関係あるのかな?
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