ヤマトと松の記事で日本人にとって松は古事記の時代ですでに神格化されていたであろうことがわかった。
古事記では倭健命(ヤマトタケル)が一本松を親友のように感じていたと記載したが、この内容で一つ気になったことがある。
それは尾津岬の一本松のことだ。
尾津岬と検索をしても、尾津岬というものは見つからず、
尾津と付いた神社が、
名古屋市の西部の高台を指していて、全然岬がありそうな気配がない場所になっている。
ここでふと頭に浮かんだのが、尾津岬に津という漢字が含まれている事だ。
津といえば、古代の港から土質を考えるの記事で地名に津が付いている場所は古代史において港であった可能性が高いということがあり、古事記の時代では濃尾平野は穏やかな湾であったのかな?と想像できる。
上記のような視点で改めて尾津の地域を俯瞰すると
南西方向に突き出た山に岬があったように見えてくる。
何処かしたらに突き出た岬のような箇所があり、
古代史に生きる人たちがこんな景色を見ていたのかな?と想像すると楽しくなってくる。