
毎朝、雨戸を開けるとこの植物が目に付く。
セイヨウタンポポだろうけれども、あまりにも綺麗なので抜くことが出来ない。
※上の写真のタンポポは二株のタンポポの記事で見た株のその後
この草を見ていると、話しかけられている錯覚に陥る。
※この草を以後「タ」とする
タ「おいおい、朝からシケた顔をしているな」
私「悩みというか不安というかそういう禍々しい感情が尽きなくて」
タ「何をしょうもない事を考えているだよ。環境に合わせて常に全力で応じながら最適に生きていくんだよ。俺はもう開花させて生を全うするぞ」
私「そうはいっても、人の社会にはお金というものがあってだね」
タ「お前あれだろ、赤字というわけではないんだろ」
私「そうだけれども...」
タ「とりあえず、庭の空いているスペースでゴボウのタネでもまいてみろよ。お前、花の形状が好きだろ。」
なんて事が一気に頭に浮かんだ。
そうか、目の前にいる草は世の中を面白おかしく生きようとする自分で、草に反論しているのは現実を見ている自分なのだろう。
こういう草を美しいと思える感性を、誰か評価して仕事にしてくれないかな。



