青石の考古学、青石で石器を作った古代人の記事に関連して、徳島で発見された遺跡の事を読み進めていたら、加茂宮ノ前遺跡の話題にたどり着いた。



今まで見てきた場所と比較して南方に位置している。

この遺跡が話題に挙がった要因というのが、国内最古級の鉄器の生産を行った鍛冶炉が複数確認できたり、国内最大規模の水銀朱を生産していたことが発見されたかららしい。

加茂宮ノ前遺跡の発掘調査成果について(「銅剣形石製品」特別展示)|レキシルとくしま


鉄器の生産の方の年代が弥生時代中期後半から古墳時代前期初頭と記載されている為、稲作にとって重要な集落であったのかな?と期待してしまう。

イネと鉄の弥生時代


加茂宮ノ前遺跡に関して、徳島の歴史を塗り替える考古学発見” 「加茂宮ノ前遺跡」は、縄文後期から国内最大の水銀朱生産の拠点地 | 一般社団法人 忌部文化研究所の記事を読んでみたら、

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縄文期から信仰された阿波の結晶片岩製の石棒が数多く出土していることも興味深い

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と記載されていた。


阿波の結晶片岩製の石棒というのは、


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阿波の青石等を指すので、認識に誤りがなければこれらの石に何らかの信仰があったというのは興味深い。

緑泥石を中心にして


阿波の青石こと緑色片岩(主の鉱物が緑泥石)は知的好奇心をくすぐるようなネタだらけで最高だよ。

大阪府高槻市にある古墳と徳島の岩


余談

加茂宮ノ前遺跡は今は海から離れた場所だけれども、縄文時代だったら縄文海進により、海が近い集落になるよな。

弥生時代に徐々に海抜が低くなり平野が増えたことによって、稲作にも適した地になっていったのかもしれない。

佐賀平野は元々海だったかもしれない