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今回は塩に穢れを祓う力があるとされるのは何故だろう?の続き。


どこで読んだか忘れたが、人が農耕文化を始めるにあたって、作物を食す割合が増え、塩分の摂取量が減った為、食塩の重要性が増したという内容を読んだ。


人の生活圏が海に近いところから、奈良の桜井→京都へと遷移していく過程で、如何に食塩を確保する事が重要であったか?は容易に想像出来るようになった。

国生み最後の地の大倭豊秋津島


こう考えると、塩にまつわる技術を発見、もしくは大陸から持ち帰ってきた方がいたのであれば、その方を神格化したくなるのは当然だろう。


この話を踏まえた上で、前回の内容の続きを書いていくことにしよう。




前回の記事で触れた塩椎神(シオツチノカミ)は塩作りが得意だと思いきや、海の安全、潮の流れ、潮位を司る神という一面もあるそうだ。


CCCメディアハウスから出版されている漢字で読み解く日本の神様(山口謠司著)でシオツチノカミのページを読んでみたところ、後の初代天皇である神武天皇ことイワレビコに東に治めるに良い場所があると伝えた神でもあるとの記載がある。

神武東征とシイの木


防腐剤としての一面のある塩があれば、海から離れてもっと遠くに行けるわけで、塩が後押しをしたのかなと想像してしまった。


なんてことを考えているうちに、塩の歴史に関しての理解を深めていきたいなと思うようになってきた。