京丹後峰山町二箇で山に向かって移動している時、右側の旗がふと目についた。
稲作発祥の地と書かれた旗がそこにある。
稲作はここで始まったのか?
詳細を知りたいので近くにある看板を読もうとしたけど、電気柵の向こう側で看板を読むことができない。
看板が読めなかったので、ここからは個人的な勝手な話だけど、稲作って確か大陸から伝承してきたものだよな?
この地図は稲作発祥の地と書かれた旗が立っていた場所だけど、地図を拡大表示してみてわかるんだけど、海から山を回ってここまで来るために20km近くあるんだよね。
ここに都みたいなものがあったのかな?と
京丹後市観光協会のサイトを見てみたら、
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歴史 今から約2200年前、秦の始皇帝は斉の方士「徐福(徐市)」に命じて不老不死の薬を探索させました。徐福が向かった地は、斉の国・琅邪(瑯琊)の東海に浮かぶ仙人が住む島にある聖地「蓬莱」です。
徐福伝説が残る地は日本全国に20ヶ所以上にのぼります。その内の一つが丹後半島です。
丹後半島は徐福が来た頃から稲作・農耕・鉄製品の加工・機織・酒造り・医療薬学など、秦(中国大陸)からもたらされた技術により発展し、その後「丹後王国」(4世紀~5世紀)が築かれる基となりました。
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※歴史 | 京丹後市観光協会 公式ホームページ 「京丹後ナビ」より抜粋
と記載されており、
このページにあるマップを見てみたら、稲作発祥の地の周辺には様々な歴史的な遺産があった。
ここの徐福伝説が正しいとして、ここで疑問になるのが、不老不死の薬を求めてなぜここにたどり着いたのだろう?
たまたま通りかかって、通りかかった先で文化を伝承していくことなんてしないだろう?
何かを発見して、ここにいる価値があると見込んだからここに様々な文化が定着したのだろう?
というわけで、
とりあえず地質を調べてみると、花崗岩質の深成岩だった。
花崗岩を割ったら宝石が出てきそうだね。
というより、この地図を見て気になったことがある。
それは次回。